未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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あの日、寂れた街が劇場になった!

イクオさんが野毛・大道芸とともに歩んだ30年

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.134 |25 March 2019
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#2そのルーツ、フランスにあり

 今からさかのぼること35年ほど前(80年代始め)、どこか寂れた野毛の街の片隅で大道芸の種が芽吹いた日のことを憶えている人は、さすがに少ないだろう。
 話によれば、その日イクオさんは、オルガンの演奏に合わせてパントマイムを披露した。オルガンを鳴らしているのは奥さんで、傍では2歳になる息子さんが、砂利を手にしてひとりで遊んでいた。
「大道芸を始めたのは生活するための手段。たくさん人が集まってくれたから、最後に『はい、投げ銭ですよ!』って言ったら、みんなわあっと逃げていったよね。みんな大道芸とか投げ銭とかに慣れてないから、そうか、日本ではお客さんを教育しないとダメなんだなあってわかりました」

「うっふ」の2階席で語る三橋イクオさん。

 そんなことをニコニコと楽しそうに語るイクオさんは、大道芸をフランスで覚えたという。イクオさんは、現在70代(全く見えない!)。生まれたのは1945年、終戦の年だった。大学時代から演劇に夢中になっていたイクオさんは、いつの間にか言葉を使わず、身体だけで全てを表現するパントマイムに魅了されたという。

 「友人と二人でマイムのコンビ(「ザ・パントマ」)を結成して、浅草の松竹演芸場とかで、パントマイムのコントを披露するようになりました。同じく浅草のフランス座でエレベーターボーイをしていたビートたけしも、よく松竹演芸場に来ていて、あとで(ビートたけしに)『いつもお前たちのこと見てたよ』なんて言われて」

 しかしながら、ザ・パントマの芸はお客さんにはまったくもってうけなかったという。

 「だって浅草だからね、お客さんは垢抜けないおじさんやおばさんばっかり。パントマイムなんて見たこともないから、『どうして何も喋んないんだ!』とか怒られて、他の芸人が『親父、これはこういう芸なんだよ!』なんて説明するくらいで」

 それでも、ある日ザ・パントマにテレビ番組の出演依頼が舞い込んだ。番組はほぼ毎日で、しかも生放送である。

「しごかれたよねえ。週に一回ディレクターに翌週の芸を見せる日があるんだけど、俺らはまだ23歳くらいでしょう。ネタを作ろうと思っても、もうカラカラになっちゃってなんにも出てこないの。酒を飲むと頭がぼおっとしちゃうから、喫茶店をめぐりながらネタを作って。1年の番組出演が終わったら、もう抜け殻状態になっちゃった」

 ちょうどその頃、フランス人演出家の演劇教室に参加する機会があった。

「もう目からウロコでしたね!」

 日本とは全く異なる表現やアプローチに衝撃を受け、イクオさんたちはフランスで演技や表現を勉強したいと思うようになる。そしていったん全ての仕事を整理すると、本当にフランスに渡った。着いた先は、花の都・パリ。1971年のことである

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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