大学を辞めた五日市さんは、ある日訪れた本屋で、雑誌『留学ジャーナル』を手に取った。前々から海外に憧れていたことから、「これだ!」と思ったそうだ。
そこから約1年、名古屋や横浜で期間工をやって200万円を貯め、アメリカのミシシッピ州に渡る。
「英語ができないまま行ったから、コーラを注文してもコーヒーが出てくるような状態だったけど、なんとかなりましたよ。信仰やしきたりに縛られない、海外の自由な空気が自分に合っていました。ミシシッピで過ごした1年は本当に楽しかった」
このまま海外で生活したい。そう考え始めた五日市さんの次の目標は、「ヘリコプターの操縦士の免許がとれる(アメリカの)短大にいくこと」だった。
なぜヘリコプターの操縦士に? と聞くと、シンプルで明快な答えが返ってきた。
「小さいころからの夢でね。空を飛びたかったんです」
短大に行くためにお金を貯めようと考えていたところに、実家から「戻ってきてほしい」と連絡が入る。23歳のときだった。
「母の具合がよくなかったんです。兄貴も一般の会社に就職していたし、自分しかいなかったので仕方なく帰りました。最初は、また海外に行きたいと考えていたけど、そのうちここで頑張ろうと思うようになりました」
良好とは言えない経営状況が続いたが、風向きが変わったのが約30年前。
ある人気番組で芸人が宿泊する様子が放映された際、映像にオーブが写りこんでいた。これが大きな反響を呼ぶ。予約が3年待ちになり、槐の間にはたくさんのお供え物が並ぶようになった。
しかし2009年、ボイラー室から出火したとみられる火災で、曲がり屋は全焼してしまう。幸い、宿泊客と従業員あわせて21名は全員無事で、座敷わらしを祀る亀麿神社だけが焼けずに残った。
その後、現在の施設を再建し、2016年に営業を再開。今も亀麿に会いにくる宿泊客は絶えない。五日市さんはこの火災について、「曲がり屋は古く冬は寒かった。再建したことでお客様に快適に過ごしてもらえるようになった。再生のきっかけになりました」と前向きに振り返った。
私は最後に、ゆうべ亀麿神社で電気が消えたことを話してみた。すると五日市さんは、人のいい笑顔を見せた。
「あぁ!22時にタイマーをかけているんですけど、時々ずれることがあるみたいですね」
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