身支度を済ませて、私は緑風荘の3代目当主である五日市洋さんに話を聞いた。
「今まで嫌って言うほど聞かれてるかもしれませんが……亀麿を見たことはありますか?」と切り出すと、「私はありませんよ」と穏やかな笑顔で答えてくれた。
「漫画家の水木しげるさんが来たときに、『私はみたことがない』と伝えたら、『座敷童子が家の人の前に現れたら、家を出ていってしまう前兆。見ない方がいいんだよ』と言われたんです。それで納得しました」
「でも私の祖父は創業前に、見たことがあるんです」と五日市さんは続ける。
「祖父が10代のころ、のちに槐の間になる客間で寝ていた時に現れたそうです。その後、戦争にいくはずが、健康な体にも関わらず何かの手違いで徴兵を免れた。祖父はいつも、座敷童子のおかげかもなぁと言っていました」
緑風荘は、五日市さんの祖父が1950年に創業した。そのころは、現在の建物ではなく築300年の南部曲がり屋。1967年に5人きょうだいの次男として誕生した五日市さんは、住居も兼ねていた当時の緑風荘に住んでいたそうだ。
「小さいころは槐の間のそばを通ると、ドキドキしていました」と当時を振り返る。
「小学生になると、掃除をしたり配膳をしたり宿を手伝うようになりました。でも当時は客足も少なく経営もギリギリでしたし、継ぎたくない、早く家を出たいと思っていましたよ」
大学進学を機に上京した五日市さん。学費は親に負担してもらったが、生活費などは自分で稼ぎながら通学した。しかし経済的な事情で、2年に進級できないまま大学を辞めることになる。
「なんとなく経営学部にしましたが、つまらなかったし辞めることに未練はありませんでした。結局、東京も好きになれなかった。特に満員電車がいやでした」
未知の細道の旅に出かけよう!
大人たちが童心にかえる宿「緑風荘」を訪ねる