1983年、石田さんは能登島にある民宿「山水荘」を経営していた両親のもと、5人兄弟の末っ子として生まれた。幼い頃から、海で素潜りをしたり、サザエを捕ったりして遊んでいたという。自然が豊かな能登島の雰囲気が好きだった。
8歳の頃から野球にはまり、野球少年として幼少期を過ごした。野球推薦で入学した高校にたまたま調理科があり、調理師免許が取れるというので、「何かしら役に立つかな」と思い、調理科を卒業。金沢にある大学にも野球推薦で入った。
大学1年生のとき、父が癌を患い、他界した。
「それからは、母がひとりで民宿を切り盛りしていました。大変なのもわかっていたし、ひとりでさみしいやろうなと思って。いずれ能登島に戻ろうと考えていました」
ちょうどその頃、能登島ではミナミバンドウイルカ2頭が迷い込み、話題になっていた。
ある日、船舶免許を持っていた石田さんはいつものように能登島に隣接する七尾湾へ、民宿が持っていた船に乗って出かけた。その時、初めてイルカを見た。たまらなく感動した。
「遊びの延長で、イルカとよく泳いどったんです。目が合うと神秘的な気分になりました。こんな体験が能登島でできるんだ。面白いな、と思いました」
大学を卒業後、石田さんは民宿を継ぐことを念頭におき、5年間金沢の料亭で修行をしてから、能登島に戻った。能登から離れた大学生のときからずっと「早く能登島に帰りたいな」と思っていたという。
2010年27歳の時、母と二人三脚で民宿経営をスタート。イルカウォッチングを始めたのもその頃だった。
「最初は、友達や知り合いを呼んでいました。そしたら人がたくさん来るようになって。その時すでに近所のおじいちゃん達がイルカウォッチングをやっていたので、僕もやってみようかな、と思い始めたのがきっかけです」
民宿にも年々、イルカウォッチングやイルカスイムが目当てで来る人が増えていった。
2011年の東北地震の際に、ボランティア団体から声がかかった。東北の子どもたちを20人単位で能登島へ呼んで、イルカをみる夏季合宿のような活動をした。
「イルカを見た子どもたちが目を輝かせて、叫びながら喜んでいました。元気になってくれるのがうれしくて。やってよかったな、と思いましたね」