遡ること2時間前。今日はもうイルカには会えないだろうな、と能登にある実家の窓から雨雲に覆われた空を、見上げていた。その日は、曇りのち豪雨と天気予報が告げていたからだ。
「もしかしたら船は出ないかもしれない」と言われていたが、「天気が保ちそうなので13時に出港します」と連絡をもらい、慌てて能登島までやって来た。
約束の場所は、能登島の西側に位置する「ねやフィッシングパーク太公望」。イルカを見に行く船が、13時に桟橋に着くという。
車を降りると、ぽつりぽつりと雨が当たる。
<まずいな、雨具もなにも持ってきていない……>
イルカウォッチングに何が必要か確認もせずに来てしまった……と後悔していたとき、ウエットスーツ姿のシャキッとした女性が声をかけてきた。
「取材の方?」
声の主は、金山純子さん(63)。水族館の水槽内で餌付けショーをする元マリンガールで、現在はイルカとの泳ぎ方を教えたりボランティアで能登島と山水荘のサポートをしたりしている方だった。
「船の上は寒いから、これ着てください」
金山さんから上半身用のウエットスーツを貸してもらう。周りを見渡すと、参加者らしき人はみんな濡れてもいい格好をしていた。金山さんの心遣いに感謝した。
12時58分。船が到着。なかから、半ズボンに強面の海人100%な男性が降りて来た。石田さんだった。
「ようこそ来てくれました」
にこっと目尻にシワを寄せ、見た目とは裏腹な柔らかな物腰に、緊張がほぐれる。
「船上では、これ着といてください」
ライフジャケットを装着し、船に乗り込んだ。そして数分後、私は冒頭で記したように、能登島のイルカ達にくぎづけになっていた。
私の実家は能登にある。幼い頃から能登島の水族館へよく遊びに行っていたし、子どもが産まれてからも訪れていた。イルカが有名なことも知っていた。が、能登出身でありながら能登島のイルカにはそれまで一度も、会ったことはなかった。
2024年1月1日、能登半島が大きく揺れたあの日も私は、能登に帰省していた。能登島出身の叔母から、能登島も被害が大きかった、と電話で報告を受けた母がひと言、「イルカは大丈夫かねえ」と言った。私はその言葉が頭に残った。そこから、能登島で被災したイルカの情報を追っていた。
7月、「イルカウォッチングを再開しました」と能登島観光協会のサイトを見て、9月の帰省に合わせてイルカに会いにやって来たのだった。
能登島に住み着いた「ミナミバンドウイルカ」は、大西洋からインド洋にかけての熱帯から温帯の沿岸部を好むという。能登島は、ミナミバンドウイルカの生息地として最北となるそうだ。