佐竹さんは1975年、山形県大江町で生まれた。
当時は第2次ベビーブーム、団塊ジュニア世代がひしめく戦国時代。本人曰く「やんちゃな連中に囲まれて、トップになるにはどうしたらいいか、意地ばかり張って」幼少期・思春期を過ごしたという。
高校時代は日本大学山形高等学校でラグビーに打ち込んだ。キャプテンを務め、山形県選抜のメンバーにもなったが、高校の監督とはぶつかってばかり。スポーツ枠での進学を狙ったものの、大学への推薦状は書いてもらえなかった。
「正義感が強いといえばかっこいいけど、頭が固いんですよね。おかしいと思ったことを曲げられないんです」
いくら自分の腕や技術を磨いても、監督は選べない。「世の中ってこういう感じなんだ」という理不尽さに腹が立った。
環境が変わらないなら、飛び出すしかない。
10年後に佐竹さんは大きな決断をするのだが、この時の佐竹青年はもちろん自分の未来を知る由もない。
高校卒業後は仙台で2年間の予備校生活を送り、それでも進路が決まらなかったため、東京の調理専門学校に入った。両親がラーメン屋を営んでいたためだ。
「ちょっと料理を学んで実家を継げばいい」。料理の道へのスタートラインは、ずいぶんと軽い気持ちだった。