大学1年生の夏休みに放牧酪農に取り組んでいる北海道の牧場で研修をさせてもらうと、2年生の時は岩手の牧場、3年生の時は再び北海道の牧場を訪ねた。4年生になって時間に余裕ができてからは、北海道から九州まで全国の牧場を渡り歩いた。この4年間で、放牧酪農の課題と可能性を目の当たりにした。
全国のおよそ90%の酪農家は、全国に10ある指定団体にだいたい1キロ100円前後で牛乳を卸す。買い取り価格は指定されるから、なるべくコストをかけず、牛からたくさんの乳を搾らないと売り上げが増えない。そのため、乳量を増やすように計算された「濃厚飼料」と呼ばれる穀物を与えている。
自然の草が主食になるため、乳量が減る放牧酪農のカギを握るのは、牛乳や加工品に付加価値をつけて自ら販売する六次産業化。牛の世話をしながら販路の開拓をするのは、簡単ではないが、牛乳でチーズやヨーグルト、バターなどを作って収入源を多角化することもできる。
「放牧の酪農をするには、乳製品も含めていろいろなものを価値にすることが不可欠です。自分で加工、販売までやって、消費者とつながることが必須だとわかりました」
なにをするにも自分の意志と努力次第の放牧酪農に魅力を感じていた山川さんだが、4年生になっても就職活動をしなかった。沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで海外旅行にはまり、卒業したら1年間旅に出ようと考えていたのだ。あわよくば、お気に入りの国、ネパールに住もうとすら考えていたタイミングで、「うちで働かないか?」という電話をかけてきたのは、岩手にあるなかほら牧場の中洞正さんだった。
中洞さんは、山地で放牧酪農を行う「山地酪農」の第一人者。1984年から牛を24時間365日放牧し、交配、分娩も自然に任せて牛を育てている。山地酪農は、牛が雑草を食べて山をきれいにする、排泄物で土を豊かにする、土を踏み固めて山を強くするという効果もあり、実践者が全国に散らばる。
山川さんは大学1年生の冬、中洞さんの講演を聞いて尊敬の念を抱き、研修をさせてほしいと手紙を書いた。それが受け入れられて、次の年に研修に行った。大学での4年間、いろいろな牧場を見て周って、「働くなら、なかほら牧場だな」と感じていた山川さんは、就職の道を選んだ。ただ、「3カ月だけ旅をさせてほしい」と交渉し、牧場で働き始めたのは2004年の夏だった。