未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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洋食屋、焼肉屋、寿司屋、居酒屋を巡る 「オムライスの町」で出会った"おむてなし"の心

文= きえフェルナンデス
写真= きえフェルナンデス
未知の細道 No.253 |25 March 2024
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#5北極星の技を細く受け継ぐ人気食堂

1軒目から大満足のなべちゃんと私は、はしご酒ならぬ、はしごオムライスをすることにした。次に向かった先は、同じく国道249号線沿いにある「志お食堂」。

オムライスの取材をするにあたって絶対に外してはならない場所、それがここ、志お食堂だ。こちらも1971年開業の老舗で、先代の清太郎さんは北極星で修行をした叔父の店で働いたのち、食堂を開業した。愛想がよくオムライスも好評で、近所の常連客の憩いの場としても愛され繁盛した。1996年、息子であり2代目店主の本西浩一さん(54)が後を継いだ。当時、スーパーの鮮魚店で働いていた浩一さんは、1年をかけ、父の味を受け継いだ。

2024年現在、宝達志水町で唯一、オムライスの生みの親である北橋茂男氏の技を受け継いでいる食堂である。

昔ながらの玄関の引き戸を開け、店内に入る。お店の中は昭和の食堂映画のセットのようだった。壁には、笑福亭鶴瓶が来店し、店主と撮ったツーショット写真が飾ってある。

店の真ん中には石油ストーブにヤカン。湯気を吐き出しながら、ときどきプシュプシュと音を立てる

取材当日、指定された時間に訪れるとすでに昼食のピークは過ぎており、厨房は片付けを終えた後だった。まずは志お食堂についてのお話を聞いた。その後、「なに、食べますか?」と本西さんは声をかけてくれた。私はオムライス、なべちゃんはポークソテーオムライスを注文した。

15分もしないうちにオムライスは完成。「では、いただきまーす!」そう言うやいなや、本西さんは私たちにこう言った。

「ぼく、ちょっと配達に行ってくるねえ。10分ほどで戻るから、オムライス食べてて。ごめんねえ」

見ず知らずの私たちを店に残し、本西さんは配達に出てしまった。驚いた。と同時に古き良き時代にタイムスリップしたような気分になった。世知辛い現代で、人を信頼している接客を受け、心がぽうっと暖かくなった。そして冷めないうちにオムライスをいただく。

志お食堂で一番人気のシンプルなオムライス。絵本から出てきたような見た目の美しさに食欲が湧く
ポークソテーオムライス、1,000円。

つやつやのケチャップが眩しいオムライスの小山にスプーンを差し入れた。出てきたのは香ばしい醤油味のライス。あっさりやさしい味で、口に運ぶスプーンが加速する。

なべちゃんが食べていた「ポークソテーオムライス」は、通常の「オムライス」に、ポークソテーが添えられていた。肉を二切れちょうだいする。むちっと食べ応えのある豚肉は柔らかく、ブラックペッパーの隠し味にライスが進んだ。

オムライスを食べ終わるころ、配達から戻ってきた本吉さんに醤油ベースのオムライスへのこだわりを聞いた。

「先代のレシピを元に、お客様からの意見を取り入れ、少し改良しました。ケチャップが嫌な方もおられるので、ライスはあっさり醤油ベースで。ポークソテーやオムライスの上にトンカツを乗せたボルガライスは、僕が考案しました」

お客様から生の声を聞き、レシピをアップデートさせていく。宝達志水町の記録にあるように「胃腸の弱い常連客のために」とオムライスを考案した北橋氏のおもてなしの心が世代や土地を変え、息づいていると感じた。

志お食堂の店主、本西浩一さん

志お食堂は宝達志水町で朝早くに開店する唯一のレストランだ。

「うちは朝8時に開けるもんで、意外に9時頃が忙しいんですよ。最近は県外からビジネスマンの方なども来てくれますね。この辺には朝ご飯食べるとこがないもんでね」

とはいえ、やはり地元の人気が根強い。お昼頃に店の前を通るといつも駐車場は車でいっぱいだ。常連客の中には朝から来店し2、3時間ゆっくり朝食を食べ、コーヒーを飲み、会話を楽しんで帰る方も多いという。優しい時間が流れている「志お食堂」ならでは。食堂兼憩いの場というわけだ。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
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