札幌で生まれ育った野口さんは、子どもの頃から考古学者に憧れていた。しかし、北海道大学に進学後、「やっぱり生身の人間のことを知りたい」と思うようになり、文化人類学を学んだ。
卒業後、上京して一橋大学の大学院に。インドのゾウ使いをテーマに修士号を取得した時、なかなか就職先が見つからない博士課程の先輩たちの姿を見て、「博士課程に進む決断ができず」、会社員になる道を選ぶ。名古屋の商社に就職。「それまでの人生で一番遠い世界」で必死に働いた。想定外だったのは、仕事が想像以上に忙しかったこと。「在野で研究を続けよう」と思っていたのに、ままならない。そのうち、「お金が貯まったら、大学院に戻ろう」と考え始めたタイミングで、友人から北方民族博物館が職員を募集していると聞いた。これが大きな転機となる。
「北大で学芸員資格を取った時、僕をかわいがってくれた先生が北方民族博物館の元学芸員だったんですよ。それに、日本では考古学の博物館はすごく多いのに、人類学の博物館は数えるほどしかありません。友人から、お前は学芸員の資格を持ってるし、大学に戻って食えないよりか、働きながら研究できた方がいいんじゃないのと言われて、確かにって」
大学院時代の研究テーマは北方民族と似ても似つかないが、以前から北米の先住民に興味があったこともあり、野口さんは応募を決めた。この決断が功を奏し、2015年、27歳の時に北方民族博物館の学芸員として採用される。それを機に、北米先住民について研究をスタート。また、北海道で生まれ、北方民族博物館で働く者としてアイヌ民族の研究も始めた。さらに学びを深めるために東北大学大学院の博士課程に進学し、現在は社会人学生だ。
主な研究テーマは、「北の狩猟採集民族にとって、宝とはなにか」。定住せず、移動を繰り返すため、荷物が少なく物質文化に乏しいとされる狩猟採集民であるが、北方の狩猟採集民は定住したり、豊かな物質文化をもっていたりと、必ずしもこのイメージにあてはまらない。宝があるということは資産の有無につながり、そこから格差が生じる。宝を追うことが「人類社会の不平等の起源」につながるかもしれない。
この話を聞いて、僕はとてもワクワクした。野口さんの取り組みは、子どもの頃から興味があったという考古学や映画『インディ・ジョーンズ』に通じるものを感じた。「なんだか、楽しそうですね。北海道に戻ってきてよかったですね」と言うと、野口さんはニコリとほほ笑んだ。
「100年200年ぐらい前の『伝統的』な文化を主に調査しているので、考古学の文献も使うし、人類学の民族誌も使います。そういうことをやっている人が少ないので文化人類学会のなかで浮いてますけど(笑)、博物館は地に足をつけてそういう研究ができる場所なんですよ。やればやるだけ、知りたいことも出てきますし、楽しいですね」
考古学志望から文化人類学に転じ、大学院でインドのゾウ使いについて研究した後、商社の会社員を経て北方民族博物館の学芸員になった。図らずも一直線ではなかったその道のりが、野口さんの独りよがりじゃない、ユニークで柔軟な解説に表れている気がした。