北方民族博物館には、オホーツク文化の展示もある。僕は聞いたことがなかったのだけど、北海道の歴史を考えるうえで重要なポイントだ。
縄文時代の後、弥生時代、古墳時代と続く本土と違い、北海道では縄文時代から続縄文時代、擦文(さつもん)文化に入る。その続縄文文化、擦文文化と並行する形で、6世紀ごろ、網走を含むオホーツク海沿岸部に、まったく違う文化を持つ人たちが現れた。樺太以北から移住してきたとみられるその人たちは、海の資源を活用する「海洋の民」だった。
このオホーツク文化の存在を突き止めたのが、在野の考古学者だった米村喜男衛さん。理髪師をしながら考古学を研究していた1913(大正2)年、網走市内で後にオホーツク文化の遺跡とわかるモヨロ貝塚を発見。それを機に網走市内に移住し、床屋を営みながら調査を進めた。その研究発表によって、オホーツク文化が世に広く認められいく。未知の文化を発見するという偉業を成し遂げた米村さんは1936年、北見郷土舘(現網走市立郷土博物館)を開設し、初代館長に就任した。
広大な北海道で共存していた擦文文化とオホーツク文化は次第に混ざり合っていった。そして13世紀ごろになると発掘した時に出てくるモノが変わり始め、「アイヌ文化期」と呼ばれる時代に入る。オホーツク文化は、アイヌ文化にも通じているのだ。
「クマを象った彫刻などが発掘されており、オホーツク文化ではクマに関する信仰があったと考えられています。一方、擦文文化ではクマを信仰していたかどうか、よくわかっていません。アイヌはクマを神としてとても大切にしているので、そこにオホーツク文化の影響があっただろうと予想することができるわけです」
本州の学校では一切教わらないオホーツク文化だけど、アイヌ文化のルーツに関わる可能性が高い大きな発見だ。北海道の歴史を振り返るうえで、米村さんの功績はとんでもなく大きい。