木下さんの話に戻ろう。
2009年から東京楽竹団で活動していた木下さんは、福岡や佐賀で、同じように竹を使った楽団があることを知る。その多くは、プロの音楽家で構成される東京楽竹団と違い、地域の人々が集まって活動する市民団体だった。ある時、福岡で活動する「バンブーオーケストラ那珂川」の演奏会に東京楽竹団としてゲスト出演し、市民団体ならではのパワーを感じたという。
「竹の楽器って、大勢で演奏して、音を重ねたほうがいい響きになるんですよね。10人より20人、20人より30人でやったら、もうなんとも言えない壮大な響きになります。僕はそれがずっとやりたいなと思っていて」
東京楽竹団は、予算やスケジュールの都合でメンバー全員で演奏することはなかなか叶わないそうだ。大勢で竹の音を響かせる市民団体を作りたいという思いが募り、いつしか木下さんの夢になった。
「東京に住んでいた頃にもいろいろ模索しましたが、竹林がたくさんあるわけでもなく、練習する場所などの問題もありました。いろいろハードルが多くて叶わなかったんです」
そして2018年、子どもが生まれるタイミングで長谷川さんの実家がある富津市への移住。東京で生まれ育った木下さんは、千葉に引っ越して「ここならできるかもしれない!」と感じたという。
「こっちに来てみたら竹がいっぱいあるし、場所もいっぱいあるし、おもしろい人たちもたくさんいるから。ここでやってみようかな、と思いましたね」
たしかに、千葉には竹が多い。林野庁の資料によれば、全国で7番目に竹林が多い都道府県とのことで、房総楽竹団の活動場所、通称「AJITO」のすぐ横にも竹藪があった。
木下さんと時期を同じくして、その竹を活用しようと動いていた人物がいる。「房総竹部」という団体を立ち上げていた、竹細工職人の田崎建さんだ。房総竹部は、竹の活用に取り組む団体で、みんなで竹を切り出して竹細工の技術を磨く「竹細工部」や、竹で照明を作り出す「竹灯り部」、幼竹を活用した「発酵メンマ部」など竹をテーマに活動している。「部」と名前がついているものの「竹を仕事にすること」を目指した集団で、現在の部員は100人を超え、全国各地への出張講座の依頼が相次いでいるという。
引っ越しも子育てもひと段落した、2019年の暮れ。房総楽竹団の構想を練っていた木下さんは、“おもしろい人”のひとりである田崎さんに出会った。
「実は田崎さん自身も音楽家で、笛やバイオリンができると聞いていたので、なにか一緒にできるかなと思って声をかけたのが始まりです」
もともと長谷川さんが田崎さんと顔見知りだったことや、「竹を使って活動する」という共通点もあり、話は進んだ。田崎さんから「まずは竹部の音楽部門という形でやってみては」と提案してもらい、活動がスタートしたという。
しかし、ちょうどコロナ禍と重なり、大勢で集まって演奏することなどできない時期。自粛期間などの合間を縫って、最初のうちは楽器作りワークショップや演奏体験などの小さなイベントを重ねるところから始めた。長谷川さんが個人的におこなっていたマリンバ教室の生徒さんや、その友人たちなどを中心に人が集まり、房総楽竹団は少しずつメンバーを増やしていった。
今年の3月に入団した石井さんも、そのひとり。もともとは長谷川さんのマリンバ教室の生徒で、1月の演奏会を聴いたのをきっかけに団員となった。隣の木更津市から車で1時間ほどかけて練習に参加している。活動の様子を聞いてみると、一般的な楽団にはない「楽器作り」の話をしてくれた。
「竹で楽器を作る時は、微調整が難しいんです。切りすぎると後戻りできなくて、何度かやりなおしになったこともあります。だからこそ、自分で作った楽器はやっぱり愛着が湧きますね」
人が増えていくのと一緒に、少しずつ楽器も増えていった房総楽竹団は、2020年11月のイベント出演を皮切りに、自分たちでもミニライブをおこなうようになった。月に2回、みんなで集まって竹を切り、楽器を作り、曲の練習を続けている。