未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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鳥瞰図絵師が愛した風景 八戸に生きる人々と吉田初三郎

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.219 |11 October 2022
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#8初三郎の目

デフォルメされた巨大な十和田湖が印象的な『十和田湖鳥瞰図』

さて展示作業中の初三郎の鳥瞰図や資料をじっくり見せてもらうことにした。
大胆なデフォルメが効いた初三郎の鳥瞰図を見ていると、不思議に思うことがある。例えば『十和田湖鳥瞰図』。巨大な十和田湖や、手前に小さく見える下北半島。なぜ、このような視点を持つことができたのだろうか。

「それは初三郎自身の観点ですよね」
小倉さんはこう続けた。初三郎にとってデフォルメは「見せたいところを見せる」という技術だったのだ。だから十和田湖がこんなにも大きく印象的に描かれるようになったのだろう。
さらに『八戸市鳥瞰図』を見てみよう。種差海岸が「十和田国立公園」に含まれるように運動した初三郎は、ここでは左右に「山の十和田湖」と「海の種差海岸」を対峙させ、目立たせるような構図にしているという。
また小倉さんは、「初三郎は『鉄道の目線で鳥瞰図を書いている。50年後には飛行機の時代になるだろう』と言っていたそうです」と教えてくれた。大正時代に鉄道旅行は、大衆に行き届くようになった。「大正時代における鳥瞰図の発達は、この時代の人々の国土の再発見に重なっている」と小倉さんはいう。

本当は芸術家になりたかったといわれている初三郎だが、このように鳥瞰図絵師として政治を利用し、一方で政治に利用された部分もあったとも言われている。戦中は画家として従軍し、地図は国家機密に当たるとして、ほとんどの鳥瞰図が焼却の憂き目に合うことも経験した。さらには跡を継いだ息子や弟子たちの多くが出征し、命を落とした。「苦しい思いもしたでしょうね」と小倉さんはいう。
しかし戦後、再び初三郎は鳥瞰図に意欲的に取り組んだ。八戸の鳥瞰図も戦後に新たに制作し直し、さらには入念な調査、聞き取りを経て広島の惨状を記した鳥瞰図『HIROSHIMA』など新たな視点の制作も手がけていった。

初三郎は1955年(昭和30年)に没するまで、潮観荘の復建も夢見ていたという。その夢が叶うことはなかった。

1954年(昭和29年)に制作された『八戸市鳥瞰図』
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