ハチさんの到着を待っていたきのこ会参加者は、我々も含めて総勢十数名。常連さんも多く、また、ハチさんに会えるのを楽しみに出迎えてくれる村の人も。車に分乗して、出発。もう、どこをどう走っているのやら。私にわかるのは、ただ山を登っているということだけ……(ま、それでいいのだけれど)。やがて、山道沿いの小さな駐車場におのおのが車を停めた。
「じゃあ、登りますよー」と、参加者さんのひとり。勝手知ったるきのこ好きなのだろう。駐車場の脇を見れば、というか仰げば、「え、ここを?」という急斜面を嬉々として登る姿がどんどん小さくなっていく。私も、切り立つ地面や枝に捕りながら登っていく。
急ではあるが距離があるわけでもない斜面なので、ほどなく尾根に辿り着く。尾根伝いを自由に散策しながら、きのこを探すというわけだ。
足を滑らせる心配のない尾根まで来ると、秋の木立ちが出迎えてくれた。木々のすきまから遠くの景色が垣間見られて、包まれることと解放されること、両方の心地よさを受け止めながら歩ける場所だ。くすんだ色調の落ち葉が歩く度にカサコソと鳴り、足下を見れば小さな草花はみずみずしい。
きのこ愛好家の皆さんは、すでに「あ、ここに」「これは○○タケでしょうかね」とそこここでしゃがみ込んでいる。サクサクとテンポよく進む人もいれば、行ったり来たりする人も。一方、ゆっくり丹念に観察する人、そのなかでもダントツのナンバーワンはヨーロッパから来日中の地衣類研究者で、彼など歩く速度は時速30メートルくらいだった(学者として信頼できる気がした!)。
私はと言えば、もうね、きのこなんて全然見つけられません。「ほら、あの木のそばに。見える?」と誰かが親切に教えてくれても、「ん?……んん?」。かなり近づいてやっとこさ確認できる。「それ、○△タケですよ」と言われても、聴き慣れないから情けなくも猫に小判。名前は諦めて、今日はとにかく、きのこを見つけることから始めよう。しかし、目が“きのこ目”になっている人とそうでない人とではかくも差があるのか! と思い知らされるわけです。
目を凝らして見ているけれど、ちっとも見えてない。そんな経験は過去、何度もあったなあ。フライフィッシングを始めた頃も、先輩フィッシャーの「あそこ!」という囁き声に、どうしてそんなすぐ視認できるの?と凹んでいた。山菜採りに連れてってもらったときも、そうだった。
とはいえ、きのこ愛好家の皆さんに「あそこ!」「これは……」と教えてもらうだけでも十分楽しい。少し歩いただけでも、こんなにさまざまな形や色のきのこがそれぞれの領域で粛々と佇んでいるのだと知るだけでも味わい深い。東京の端っこ?と思っていた場所だけれど、とんでもなかった。知っているようで知らない世界への入口に差し掛かっただけ、というくらい、その先が深いのだと少し実感できたかもしれない。