そんな宿としての「真鶴出版」の大きな特徴は、宿泊と「まちあるき」が基本セットになっていることだ。お客さんにこの街の良いところを知ってもらいたい、という気持ちが嬉しい。
午後3時。今日のまちあるきは、「真鶴出版」の入り口の前にある石垣を眺めることからはじまった。「あそこを見てください」と友美さんに言われ、上の方を見上げると、石垣の一部は、平たい石を積み重ねたような独特の形状をしていた。これは、まさに真鶴らしい石垣なのだそうだ。
真鶴は歴史的には「本小松石」と呼ばれる高級石材の産地で、その多くは墓石として使われてきた。石材が四角く切り出されたあとは、どうやっても石の端っこが余ってしまうという。
「だから、この石垣はそんな“木っ端石”と呼ばれる墓石の余りを集めて作ったものなんですよ」
へえ!まさにこういうことは、説明してもらわないと気がつかなかったことだろう。
その後は、民家の合間を縦横無尽に走る背戸道をゆっくりと歩いた。
友美さんは街中に点在する愛しい風景を集めるように説明を続ける。
「この石の下は水路になってるので、水が流れています」
「このお家の生垣、見てください。本当に見事なんですよ」
「この井戸の水は、草木の水やりに使われています。水がそんなに冷たくないんです。触ってみますか?」
どこも普通の観光ツアーでは絶対に出てこないような場所????。しかしそのすべてに街の記憶が映し出されている。
路地を抜けると、ツアーは市街地に入り、お肉屋さん、干物屋さん、酒屋さんなどの小さな商店が続く。高い建物がなく、昔ながらの床屋さんや古い看板、木の電柱などが残る風景はノスタルジックだ。
お肉屋さんの揚げたてのコロッケを頬張りながら、坂道を下りて港に向かうと、急に視界がひらけた。小さな入江に抱かれるように、たくさんの船が佇んでいた。
きれいなところだなあと思った。
友美さんは言う。
「真鶴の良さというのは、パッと見てわかりやすいものではなく、日常の暮らしだったり、街の人とのコミュニケーションだったり、なにげない石垣だったりするんです。初めてきた人だと見落としてしまうようなものこそが、ここの魅力だったりするんですよ」
その通りだなと思った。
いまさらながら、どうしてふたりが真鶴を選んだのか、そして宿の窓から見える景色がなぜ路地なのかがわかった気がした。