今川さんと、2017年の現代から7万年前へと向かって、年縞を見ながら長い展示室を歩いていく。
歩き始めてすぐに、年縞の中にとても厚い層があった。豊臣秀吉が活躍していた頃の時代、「天正の大地震」があった1586年のものである。年縞を上から一枚ずつ数えていくと、歴史の記録通りの年月だということがわかるのだ。
地震があった年は、湖に大量の土砂が流れ込んだため、その年の層が数センチとぶ厚くなるのだという。このように地震の影響で層が厚くなっている部分がところどころにあり、地球上では大きな地震が定期的に繰り返されていることがわかる。洪水でも同じような年縞の変化がみられる。そして洪水や地震の履歴は、災害予測に役立てられるのではと期待されている。
さらに時代を遡る。800年ほど前、各地に荘園制度が拡大された頃だ。この年縞を調べたところ、稲の花粉が爆発的に増えていることがわかった。「おそらくこの地域に稲作が増えた時代だったのでしょうね」と今川さん。
さて7253年前、1年で3センチの厚い層があるところがあった。これは一体なんだろう?
鹿児島県の鬼界カルデラ大噴火のときの火山灰だ。火山灰だけで3センチもあるのだ。現在の研究では、この破局的大噴火によって、南九州の縄文人が絶滅したと考えられている。地球史にとって大きなトピックなのだ。もし今このような噴火があったら大変なことになるだろうと、この厚みを見るだけで、ちょっと恐ろしくなる。
2万9千年前の年縞には、白樺など現代の福井には存在しない、標高の高い寒冷な地域の植物の花粉が増えている。つまりこの時代、「氷期」だったということがわかるのだ。
このように年縞の中の花粉や火山灰、鉱物などの成分や厚みを解析することで、7万年間の地球のさまざまな出来事がわかるのだ。年縞を見ていると7万年の地球を一気にタイムスリップをした気分になる。それにしてもこんなものが水月湖の底に眠っていたなんて、すごい。今朝、山頂公園の上から見た水月湖を思い浮かべながら考える。
実は水月湖の年縞は偶然に発見されたものだと今川さんが教えてくれた。別の調査のボーリングで発見され、調べてみると、非常に珍しい堆積物であるいうことがわかったのだという。1991年のことだ。
英語でvarve(年縞)という言葉はあったものの、それまで日本では「年縞」と言う訳語もなかったそう。やがて日本人の研究者をリーダーとする国際研究チームの成果によって、水月湖の年縞は世界でも類い稀なものだということが解明され、この博物館も建てられたのであった。