未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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未来へ向かって回せ! 西塩子の回り舞台と農村歌舞伎

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.149 |8 November 2019
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#2回り舞台に魅せられて。

茨城大学の西野由希子教授(左)と学生たち 

まずはこの歌舞伎の手伝いをしている、茨城大学「西塩子の回り舞台手伝い」というチームのブースに立ち寄った。今日の祭りを案内してくれる茨城大学人文社会科学部の西野由希子教授と学生たちだ。中国の現代文学が専門の西野先生は、市民との読書会「ブックカフェ」を定期的に行うなど、外国文学を通じた生涯教育にも力を注いでいる。だが文学者である西野先生が、里山で農村歌舞伎のボランティアをするようになったのは、なぜなのだろうか。

今も現役の大幕

「西塩子の回り舞台」とは、江戸時代後期から常陸大宮市西塩子地区に持ち伝えられてきた、農村歌舞伎のための組立式の舞台だ。舞台の中央を円く切り抜いてあり、回すことができる。この回り舞台や、花道の床板などの部材のほか、舞台道具や古文書なども持ち伝えられており、現存する日本最古の「組立式農村歌舞伎舞台」として茨城県の有形民俗文化財に指定されている。今も使われている舞台の大幕には文政3年(1820)と書かれているのだ。

奈落の底で、回り舞台を動かす人たち

江戸時代から近代初頭にかけて娯楽が少なかった時代。静かな村が、芝居の日には千人もの見物客で賑わったと言い伝えられている。だが西塩子の農村歌舞伎も、社会の変化とともにやがて廃れてゆき、1945年以降、一度は途絶えてしまう。

チョボ(本床)を飾る明治時代の見事な彫刻

しかし50年近い月日を経て、再びこの回り舞台にスポットライトが当たる時がやってきた。1991年の当時の旧大宮町の調査によって、貴重な文化財であることが確認されたのであった。
この舞台を復活させよう! と1994年には西塩子の全世帯70戸で「西塩子回り舞台保存会」が、さらには地元の人たちが自ら役者になった「西若座」も結成され、組み立てと公演が再開されるようになったのである。その後は3年に一度のペースで定期公演が続けられている。

西野先生は15年前に大学の視察として第3回定期公演に訪れて、この回り舞台と西若座に出会った。その時、西野先生は「この地域にこんなに素晴らしい文化があるなんて!」とすっかり西塩子の回り舞台と農村歌舞伎に魅せられたのだという。舞台を組み立て、農村歌舞伎をつくり上げる地元の人たちの姿がほんとうに楽しそうに見えた、という西野先生。それからというもの、この地域に学生を連れて、ボランティアを続けているのだ。

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