迫力の「戻り橋」が終わって、辺りはすっかり暗くなっていた。 残すところ、演目はあと一つ、地芝居「太功記十段目」。トリを務めるのは、もちろん、地元の芸達者たちで結成された「西若座」だ。
自分たちが役者として舞台に立ちたくなって立ち上げたという「西若座」。この地区で続けてきた伝統を、自分たちの代で途切れさせたくない、次の世代に引き渡したい、西塩子の人たちはいう。
西野先生は、「お父さんお祖父さんの代から続けてきた舞台を、子供の頃から一緒に見てきたこの地区の人たちだったからこそ実現できたのだろうな」と思うほど、この地区の人たちは仲がよいのだという。西塩子地区の全60世帯が保存会であり、西若座なのだ。
そして自分たちの舞台を自分たちで組み立て、自分たちが出演する。なんといってもこの「西若座」があることが、復活してから20年、7回の組み立てと公演が続けられてきた理由なのだと思う、と西野先生はいう。
さて「太功記十段目」は明智光秀の謀反の話がモデルになっている。主君・尾田春長を討ったはいいが、だんだんと劣勢に追い込まれていく武智光秀の悲哀が描かれる、人間ドラマだ。
舞台の上では次々と家族を失って呆然とする光秀の前に、落ち延びてきた宿敵・真柴久吉が現れる。そして次の決戦を誓って、光秀と真柴久吉と対峙する最後のシーン。里山をすっかり包み込んだ夜の暗闇と、屋根に灯された提灯の明かり中で繰り広げられる生死をかけた戦いと苦悩のドラマは、幻想的だった。
帰りのシャトルバスに乗り込むと、隣り合わせた知らない人たちは、みんなちょっぴり興奮気味だった。初めて見に来たという人もいれば、もう何回も見に来ているという人もいる。きれいだったね、おもしろかったね、と知らない人たちと感想を語り合いながら、あっという間に駐車場についた。さよならを言い合って、それぞれが帰路につく。
家に帰って西野先生にお礼のメールをおくると「一日中立っていたので足腰はちょっと痛いのですが、気持ちはたくさんの方たちへの感謝や、保存会と学生への賞賛で、疲れを感じていないようです」という返事が返ってきたのであった。
見る人も作る人も手伝う人も、みんな西塩子の歌舞伎が大好きなのだなと、思った。