間口は小さいけれど、懐がでっかい美術館である。
奇をてらったように見える作品でも、その奥にあるのは切実な思い、そして表現したいという激しい衝動だった。それを真正面から受け止め、ワクワクする形で世に送り出す。
なんて大変で、なんて素敵な仕事なのだろうか。
「こういう切実な思いを受け止めながら展示を企画するというのは、本当に大変なことですね」
私は、どこか圧倒されながら岡部さんに聞いた。
「そうですね」と岡部さんは優しく答えた。
「でも気をつけないといけないのは、必ずしも表現したくてする人ばかりじゃないことです。どうしようもなくてやる、という人もいるのです。以前、目がたくさんあるという作品を描いている方がいました。その人は、目が好きなわけではなく、むしろ人の視線が怖くて『目』に恐怖心がある。でも、自分の外にそれを出して、表現することによって、安心するらしいです。だから、私たち美術館は、常にその人が本当にやりたくてやっているのか、と疑わないといけないと思います。好きで描いているのか。怖くて描いているのか。そこには、その人なりの気持ちがある」
恋も愛も喜びも悲しみも恐怖も──。
言葉では言い尽くせないたくさんの気持ちを織物のように重ね合わせながら、この美術館はすくっと立っている。
帰り道、ナナの「湖がみたいよー!」という熱烈リクエストにより、ちらっとだけ猪苗代湖を見にいくことにした。
湖に向かう道中、白鳥さんは呟いた。
「俺さあ、ちょっと思ったんだけどさ、障害ってさあ、社会の関わりのなかで生まれるんだよね。本人にとっては障害があるかなんて関係ないんだよ。研究者とか行政が『障害者』を作りあげるだけなんだよね!」
それは「障害者」として生きてきた白鳥さんにしか言えない、生の声だった。
しかし、議論が深まる間もなく、ほんの数分で湖畔についてしまった。
「ねー、みてごらん! きれいだねー」とナナははしゃいでいる。
35年ぶりに見た湖は、記憶のなかと同じくらい美しかった。