ちょっとここらへんで、正直なところを告白したいと思う。恥ずかしいので、書かないでおくか迷ったけれど、思い切って書こう。
遡ること二年ほど前、障害者の作品を主軸にする美術館が猪苗代にあると知ったとき、心のどこかでこう思っていた。
ふーん、蔵を改装した美術館ってよさそうだけど、もしかしたら作品自体はそんなに面白くないのかも?
ええ、そうです。まさに、先ほどの「先入観」や「偏見」のなせるワザだ。人間社会におけるチャレンジだ、なんだ、とカッコつけて書いたが、真実はなんのことはない、ダメな自分に対しての戒めの言葉なのである。
あー、ゴメンなさい!
実際にここに来てみれば、そんな私のどうしょうもない偏見を、ガガガガガ! とドリルで破壊して、宇宙にぽーんと放り投げるようなアバンギャルドな作品が連なっている。
例えば、岡部さんたちが写真で見せてくれた、こんな過去の作品だ。
無数のインスタントラーメンの袋がずらーーーーっ!と壁一面に並んでいる。
ななな、なんですか、これは? (やや面食らい気味)
「酒井美穂子さんの《サッポロ一番しょうゆ味》です。酒井さんは、『やまなみ工房』という福祉施設に通っている方ですが、サッポロ一番の醤油ラーメンのパックを触るのが好きなんです」(大政さん)
ほほう?
「20年間にわたって、一日中ラーメンの袋を握りしめているんです。しかも味噌味や塩味はダメで、醤油オンリー。『やまなみ工房』のスタッフは、これもひとつの表現の形だろうということで、酒井さんが握りしめたラーメンに日付をつけて保管していたそうです」
これもひとつの表現……確かに。
20年の蓄積は、見る人を圧倒させる力がハンパない。
「その時の企画展のタイトルは『無意味、のようなもの』でした」
ん、無意味、のような?
ということは、無意味に見えて、無意味じゃない?
うわあ、いい。すごくいい。めちゃくちゃいい。
写真を見て最初に湧き上がった感情は「???」だったが、次第にゾクゾクした気分に変化し、最終的にはジェラシーに変わった。
いいなあ、うらやましいぞ!
私もできることなら、毎日のように自分の好きなものを握りしめたい。誰になんと言われようと、好きなものを追いかけ、それを表現したい。「人は誰でもアーティストになれる」と言ったのはドイツ人アーティストのヨーゼフ・ボイスだが、自分もこんな風になりたい。
そうだ、なんの意味も無いものなんか、きっとこの世にないのだ。