「師匠の箒を初めて使わせてもらったとき、箒の概念が変わったんです。『こんなに、掃除って楽しいの?』ってテンションが上がりました。今までは掃除したくないけど仕方ないっていう感じだったのが、掃除したいという幸せな感情に変わって、惚れ込みました」
私も実際に体験させてもらった酒井さんの箒は、掃き心地が軽くてふわっふわ。それでいて、真っ直ぐな穂先が部屋の隅々からゴミを集めてくるのが、たしかに快感だった。もっとゴミを集めたい、掃きたい! と思わされ、気がつけばフクシマさんの工房を箒で掃きまくっていた。
大学院で師匠の箒に惚れ込んだものの、フクシマさん自身が箒職人になろうと決意するまでには、もう少し時間がかかった。
「会社に勤めてお金を稼ぐ。そういう生き方しかないと思っていました」
会社員として就職する道や、伝え手としてものづくり文化を残す道を模索するなかで、福島県喜多方市で行われたアーティスト・イン・レジデンスに参加し、伝統工芸の「雄国根曲がり竹細工」を2週間に渡って取材することに。通称「根曲がり竹」と呼ばれる、千島笹を使った工芸品の職人さんや地域の人たちに話を聞き、『雄国竹取ものがたり』という創作民話にまとめた。
「そのとき『これは作る人がいなくなったら終わってしまうんだ』って実感して。だって当時の職人さんの最年長は93歳で、最年少の76歳が若手って言われているんです。20年後には多くの工芸品がなくなっているかもしれない。そう思ったら、私は伝えるよりも自分の手で作りたいと思った。学生時代から手を動かす機会に恵まれたのだから『もう作ったほうがいいや、というより作らなきゃ!』って突き抜けることができたんです」
自分の手で、ものづくりをして生きていく。そう決めたフクシマさんが箒を選んだのは「一生作り続けられるもの」だったから。
「根曲がり竹もそうですが、山から材料をいただいてつくるものは、その土地に根ざしていなければ作れなかったり、取り過ぎたら材料がなくなっちゃうので作りすぎてもいけない難しさがあります」
フクシマさんが制作した『雄国根曲がり物語』のなかには、おいしいタケノコを食べすぎてしまい竹細工が作れなくなった職人たちが冬を越すことができなかったという、フィクションでありながらリアルな昔話が含まれている。実際、雄国山ではタケノコを取ることが禁止されているという。それほど、山から取ってくる材料の場合は、自然とのバランスが大切なのだ。その点、箒は畑で育てられるので何かを取りすぎて自然を傷つけることがなく、むしろ余っている畑を活用することもできる。そして畑さえあれば、どこにいても一生作り続けられる。
「あとはやっぱり師匠の箒が好きだったから。師匠はまだ70代で若いけど、40年後にはもうあの箒はないじゃないですか。この箒がない時代を生きるのかって考えたときの無力感を覆したかった」
箒職人の道に進むと決めたとき、ゼミの宮原先生からは「清水の舞台から飛び降りたね」と言われたそうだ。「宮原先生のせいですけどね」とフクシマさんは笑っていた。