フクシマさんの箒で特に目を引くのは、きれいな糸で編み込まれた麻の葉模様だ。柿渋染の赤茶色や、藍染の濃紺が、ホウキモロコシの淡い色によく似合う。麻の葉模様も、鹿沼に伝わる伝統的な模様を、師匠の奥さんが独自に研究し復刻させたのだという。
「麻の葉模様は麻の生命力にあやかって、子孫繁栄や子どもに『なんとか生き延びてほしい』という昔の人の願いが込められた模様です。実は箒も安産の神様が宿る道具だという民間信仰がありました。新しい箒で妊婦さんの箒を撫でると『掃き出す』から安産だとか、妊婦さんは箒を粗末にしてはいけないって言われていたり。しかも、もうひとつあって、鹿沼の箒に関する記事によれば、蛤の形も子宮を模した縁起物だというんです。すべてが「産まれる」ことに関係ある形。それを知ったときに、蛤型の箒に麻の葉模様を入れるのは自然なことだと、私のなかでつながりました」
生命の始まりに込められた思いが詰まっている箒。何もないところから箒を作り出してしまうフクシマさんにぴったりだ。
生み出す一方で、フクシマさんはその「終わり」までを見ている。一般的には針金を使う部分にも手染めの糸を使い、自然素材以外のものは使われていない。
「土に還ったらいいなあ、と思ってます。消耗品ですから、いつか処分しなければいけないとき、共感力の高い人にとって『物を捨てる』のは辛いことだと思うんですよ。分別の手間もありますけど、土に還せればそういう人も苦しい思いをしないんじゃないかって」
フクシマさんのなかにある自然に対する敬意や礼儀は、箒のいたるところに込められている。「終わり」の姿まで考えられた自然への向き合い方は、「薪になる」と言っていた卒業制作のときから変わらないと思った。
「使う人にとっての『良い箒』を作りたい。処分の迷惑をかけないとか、なるべくその人の身体や好みに合わせたりとか。道具って身体の延長みたいなものだから、その人の生活に寄り添えるものだったらいいなあって思っています」
何が「良い箒」なのかを考え続けるフクシマさんは、箒の柄もさまざまな長さを用意する。
「全員にとって、絶対的にいい道具はないと思っているんです。私は身長が低いので、人間のために作られたはずの新幹線のシートが座りにくい。平均に合わせるって暴力的だなって座るたびに思うんです。箒の場合も、立ったときの手から地面までの距離って全然違うし、掃きたい部屋のサイズも人によって違う。だからその人の身体や環境に合わせてないと良い道具だとは言えないと思っています。作るほうとしては、長さを決めたほうが楽なんですけどね」
それを聞いて、背が高い私には学校の小さい箒が掃きにくかったのを思い出した。フクシマさんによれば日本で箒を作る人が減ったあと、多くの箒は海外で作られるようになり、師匠の酒井さんも台湾で箒作りを教えた経験があるという。そのときに伝わった昔の日本人の平均身長に合わせた短い箒が、今も作られ続けているのではないか、とのことだった。使う人によって柄の長さを変えるという考えは、大量生産にはないのだろう。
「腰を曲げて箒を使っていた人は、箒って使いにくいよねっていうイメージがあると思います。でも自分に合った箒を使ってみてほしい。やっぱり楽しいですよ」
9月には神奈川県の中津箒、長野の松本箒、栃木の鹿沼箒の各地の箒が集まる企画展「えらべる箒展」に参加する予定。ぜひそこで自分にぴったりの箒を見つけてみてほしい。私も探しにいくつもりだ。