「これ、大学の卒業制作なんですけど」
フクシマさんが見せてくれたのは、木材を組み合わせたオブジェ。自然の形を生かした木材と、あえて人工的に直線に切り取ったものを組み合わせた家具だ。
「機能的な家具というより、森に行って『この木、座れそう』とか『引っ掛けられそう』とか、自然のなかにある家具。あえて接着せずに分解できるようにしてあるんです。壊れても別の姿に生まれ変われるかもしれないし、最終的には薪にできるかもしれないから」
地元の大阪で高校二年生の頃から美術を学んでいたフクシマさんは、筑波大学の芸術専門学群に入学し初めてつくばへやってきた。教科書にある美術の領域を出なかった高校時代に比べ、幅広い芸術全体を学び、見える世界がガラッと変わった。気になる授業を取っていくうち、特に木工に興味を持つようになっていった。
「素材を生かすおもしろさ、ですね。陶芸やガラスも素材を生かすけど、粘土やガラスは均質なもの。だけど木工の場合は、木との出会い自体が一期一会で、同じ種類の木であってもその木がどんなふうに成長してきたかによって形や固さが変わります。さらに木材のどの部分を使うかによっても表情が変わるところが、とてもおもしろい」
大学院に進学し、「農閑工芸」を研究する宮原克人先生のゼミに入ったことが、フクシマさんの人生を大きく箒へ近づけることになる。
「先生が箒マニアだったんです。集めて、写真を撮るような。いつか箒を作ってみたいという思いを持っていた先生が『そういえば地元のつくばに箒職人がいるじゃないか』って、ゼミのみんなで体験に行くことになりました」
「農閑工芸」は、農家の人々が作物の育たない農閑期に行っていた工芸を指し、草鞋やかご編みなどが一般的には知られている。しかし宮原先生が見ているのは、それよりもさらに奥にある「物と人の付き合い方」。大量生産、大量消費が当たり前となってきている現代において、身近な素材で、大きな設備や技術を必要とせずに作ることができる生活道具は、物との関係を見直すことや手で作り出す喜びを見出すことにつながるという研究している。箒づくりは産業構造上は「農閑工芸」とは言えないものの、宮原先生が持っていた農閑工芸の哲学には通ずるものがあった。
「箒も身近で栽培することができる自然素材を使い、大掛かりな機械を使わない手作業で作られる生活道具です。農閑工芸を学ぶために箒づくりを始めたわけではなかったけれど、教わりに行ってみたら考え方に近いものがあったんですね」
そうして宮原先生とフクシマさんを含むゼミの学生が出会ったのが、つくばの箒職人、酒井豊四郎さん。のちにフクシマさんの師匠となる人だった。