さて安曇野を後にし、次の旅先へと移動する車の中で、舘くんがこんなことを言った。「懐かしさって、やっぱり視覚的なコード(記号)によって喚起されるものなんですよね。安曇野の映像は懐かしさを感じるコードに溢れてる」
たとえ自分が写ってない映像でも、あるいは自分が生まれてさえいない時代のものだとしても、人は眼前で過去が動き出す瞬間を見て、なぜだかわからないが、心が揺れ「懐かしい」と思い、時として涙を流す。それは「映像」という動く時間が持つ、不思議な力のひとつなのだ。
祐子さんはこんなことも言っていた。
「いろんな素敵な場所に旅したけれど、安曇野以外に『住みたい!』と思ったことは一度もなかったの。理由はわかんない。でも本当にそう思ったのは、ここだけだったんだよねえ。それで今は、どこかに出かけて帰ってきて北アルプスの山をみると、ただいま! って思うんだよね、東京育ちなのに」
この山の町では昔から、人々がその美しさに惹きつけられて旅に訪れ、あるいは移り住む、ということが繰り返されてきたのである。もしかしたら、この町にも「映像」と同じように、誰もが感じる美しさ、懐かしさ、ふるさとの原点……みたいなものが隠されているのではないだろうか?
そして祐子さんと大輔さんが、そんな町を第二の故郷と決めて移り住み、そこから全国各地の「地域映画」を作って発信しようとしているのは、決して偶然ではないのかもしれないね。
美しい安曇野の田園風景を車窓から眺めながら、私たちはそんなことをいつまでも語り合っていた。