次に向かった8ミリフィルム提供者は、理容店「とこやの 丸山(ガンダム)」を経営している丸山三七子さんだ。
この日はご主人の忠秋さんと、ひ孫の男の子もいた。東京の孫娘が里帰り出産していて今、地元の病院に入院中なのだ。その間、三七子さんが男の子を預かっているのだという。
明るい三七子さんは「私たちのことはミーナとアボってよんでね」と茶目っ気たっぷりだ。アボという愛称は、エスペラント語の「おじいさん」という意味からきているのだという。
祐子さんはミーナの娘・あいさんと、いわゆる「ママ友」だった。「よみがえる安曇野」をつくるために、大輔さんとともに8ミリフィルム提供者をさがしていた祐子さんは、あいさんと話しているうちに、その実家にフィルムが残っていることがわかったのだった。
何しろ8ミリフィルムは、撮影していた家庭でも、その存在が忘れられていることが多い。運良く残っていたとしてもフィルムが劣化していたり、映写機がなくなっていたり、壊れていたりして、撮った家庭でも見られないことがほとんだ。アルプスピクチャーズでは、家庭に埋もれた8ミリを「捨てないで!」と呼びかけ、必死に集めていたのである。
さてミーナとアボも、昭和50年代半ばに、3人の子どもたちを8ミリで撮っていた。現在は九州に住む長男の太さんがスイカ割りをしている様子など、微笑ましい映像ばかりだ。
やがて、提供された8ミリフィルムをデジタル化した映像の上映会を丸山家で行うことになり、さらにその様子を大輔さんが撮影することになった。3人の子どもと孫たちが集まった賑やかなシーンは『よみがえる安曇野2』のなかにも映し出されている。
はるばる福岡から里帰りして上映会に参加した太さんは、後日電話で、ミーナにこう言ったのだという。「俺は両親に愛されていたんだなあ!」
「その言葉が本当に嬉しかったよねえ!」とミーナ。
傍らでアボもにっこりしている。そして祐子さんも「今の子ども達にとっても、自分の親が8ミリに写っているのを見て、愛されて育ったんだな、というのを知ると、またそれが嬉しいの。映像が2世代にわたって自己肯定感をもたらすのだと思う」と言った。
そんな話をしていると、1本の電話がなった。なんとそれは「ひ孫が生まれた!」という知らせだった。「2人目のひ孫で、22人目の家族だよ」とミーナは教えてくれた。今日生まれた男の子も、いつかミーナやアボといっしょに「よみがえる安曇野」見るのだろう。そして自分のルーツが、ミーナとアボに愛されて成り立っていることを知るのだろうな、と私は思ったのだった。