未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
139

8mmフィルムが持つ、生きる力

安曇野発!「地域映画」

文= 松本美枝子
写真= 舘かほる(表示のないもの全て)
未知の細道 No.139 |10 June 2019
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#3一人一人が「映画監督」

画家・征矢野久さんと祐子さん。

祐子さんがさっそく「『よみがえる安曇野』の8mmフィルム提供者に会いに行こう!」と言って向かった先は、安曇野らしい田園風景の中に立つ小さな美術館、「征矢野久 水彩館」だった。フィルム提供者の一人、征矢野久さんは、とてもお元気な90歳だ。美術教師だった征矢野さんは、画家として地元・安曇野の風景を水彩画で描き続けてきた。ここは、その作品を集めた個人美術館なのだ。

征矢野さんの代表作には、水彩館からもよく見える北アルプスの有明山が描かれている。

征矢野さんが「本当のアルプスより、日本アルプスの方が、ずっといいんだよ!」という通り、水彩館の中では、征矢野さんが描く、絵の中の美しい北アルプスの山々や、それを映し出す田んぼの風景を見ることができる。

江戸時代に建てられた征矢野家の土蔵には、古い8ミリカメラが保管されている。

「昭和35年ごろに8ミリフィルムで映像を撮影するのが流行ったんだよね。それで自分もテーマを二つ決めて撮っていたんだ」という征矢野さん。絵の制作と並行して、家族と学校のことをずっと8ミリで撮影してきた。
映画『よみがえる安曇野』にも、征矢野さんが撮影した数々の映像が使われている。子どもがホースで遊ぶ姿や、大勢の人たちが犀川を船で下る様子の映像などは、当時の安曇野の人たちの生き生きとした姿を今に伝えてくれる。

そばにいた娘の昌子さんも「子供ながらにも自分たちが被写体になっているという自覚はありました。親族が集まった時に、部屋を真っ暗にして映写機を回してくれて。カタカタという音とともに8ミリが写しだされるのをみんなで見るのが、とても楽しかったですよね」という。

「みんな最初は素人だったから、映画の撮影の方法もすごく研究したんだ。例えば結婚式を10分の映画にするとして、式の様子をワンシーン10秒ずつくらいで撮影していく。そうするとちょうどいい結婚式の映画が1本撮れるんだよね。露出計をカスタムしたり、自分でいろいろ工夫しながら映画を撮ったんだ」と征矢野さん。

撮影してきたのは、日々の楽しい暮らしだけではない。お盆のお墓での火送りの様子など昔ながらの慣習を、幻想的に写した映像もある。地元の安曇野を描き続けてきた征矢野さんだからこそ撮れた映像だ。

  • (左)征矢野久水彩館と土蔵。現在の駐車場のあたりに、大きな茅葺きの家があった。
    (右)「よみがえる安曇野2」より。取り壊される前の家のうしろに、現在も残る土蔵が立っているのが見える。

なかでも圧巻なのは、昔ながらの工法で、長年暮らした茅葺屋根の家を取り壊す様子の映像だ。親戚の男たちが集まって壁を壊し、残った柱に縄をかけて大きな家を引き倒してゆく。女性たちが大きな布を広げて地面に落ちた茅葺を拾い集め、焼いてゆく……。ほんの数十年前まで、代々住み繋いできた家を、このようにして土に還していたのだ。

祐子さんたちは安曇野市役所を通して、征矢野さんが8ミリフィルムをたくさん残しているのを知り、映像を提供してもらったのだという。
「征矢野先生がこの町にいて、絵心のある映像をたくさん残してくれていたから『よみがえる安曇野』が作れたのよね」と祐子さんも言うのだった。

「征矢野久 水彩館」からの帰り道、犀川を渡った。「よみがえる安曇野」の中の征矢野さんが撮った川下りのシーンを思い出しながら。橋のたもとに車を止めて、橋の上から犀川を眺めてみる。この街はどこにいてもかならず北アルプスが見えて、本当にきれいだ。川のほとりのアカシアの木の白い花から、いい匂いが橋の上まで漂ってきた。

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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