1997年、蛯名さんは周囲の料理人と漁師に声をかけ、役場から助成金をもらって「上北町活しらうお販売研究会」を設立。採れた白魚を生かしておくための研究が始まった。リーダーシップをとったのは蛯名さん。生物部部長の経験を活かし、あれやこれやと知恵を絞った。
まず、水揚げ方法。白魚の大半は網から揚げた瞬間、圧迫されて死んでしまう。そのため、なるべく圧力を加えない採り方から考えた。通常は円形にまいた網をぎゅっと絞って水揚げするのだが、漁師の協力を得て網を開いた状態で持ち上げ、そこにいる白魚をすくうようにした。すると、水揚げ時点で死ぬ白魚が減った。
すくいとった後も、工夫を凝らした。湖水を入れた桶に入れておくと、2、3時間で死んでしまう。桶にエアレーションを入れても、結果は変わらない。そこで蛯名さんは、湖水の塩分濃度に着目した。小川原湖は汽水湖なので、海水の塩分が含まれている。どの塩分濃度なら長く生き延びるのか、細かく塩分濃度を分けた桶をいくつも用意し、白魚を入れて生存時間を分析した。そうして試行錯誤を重ねた結果、小川原湖に近い0.4%から0.8%の塩分濃度、水温8度以下などの生存条件を特定することに成功した。
「最初の頃、漁師からは難しい魚だからできるわけないと言われていたんだ。昔、東京の会社が挑戦したけど、さじを投げたって。でも私は、素魚は踊り食いできるんだから、白魚も大丈夫だろうって軽く考えてた。結局、何年もかかっちゃったよ(苦笑)」