翌日、9時半にもう一度、多聞院へ。この日は観智院の23世住職で、多聞院の住職兼図書館長でもある土屋正道さんに、多聞院の歴史から話を聞いた。
「江戸時代、ここは徳川家康にゆかりのある増上寺の敷地でした。増上寺は今の10倍ほどの規模があり、日本各地から3000人ほどのお坊さんが集まって勉強していたのです。多聞院は、そのお坊さんたちの寮でした」
増上寺の規模とお坊さんの数がとんでもない。でも明治6年に制定された公園法と、第二次世界大戦後のGHQの政策で増上寺の敷地はどんどん小さくなり、今の規模になったそう。しかも、戦争で増上寺の周辺一帯が焼け野原になり、多聞院も焼け落ちてしまった。それを建て直す際に今の木造平屋になったのだ。
終戦後は土屋さんの伯父と伯母が多聞院に住みながらお寺として管理していたのだが、伯父が亡くなり、伯母が高齢のため施設に入ってからは月に一度の念仏会で使用される程度になってしまった。そこで土屋さんがもう一度多聞院に賑わいを取り戻そうと、寺社旅研究家の堀内克彦さんに相談。それほどお金をかけず、すぐに始められて、やめる時も手間がかからない企画を求めたところ、堀内さんから提案されたのがお寺の漫画図書館のアイデアだった。
お寺といえば、そこでリラックスするようなイメージはないし、あぐらをかいて漫画なんて読んでいたらお坊さんに怒られそうな気さえするけど、土屋さんは「面白い!」と思ったと振り返る。
「私は『火の鳥』とか『鉄腕アトム』を読んできた世代ですし、実は『てんねん』という僧侶が出てくる漫画の製作に協力したこともあるんですよ。だから漫画に対して偏見もないんですよね。漫画を置くことでいろいろな人が多聞院に来て、仏教に関心を持ってくれたら嬉しいことでしょう。私が父に買ってもらった『火の鳥』も置いてあるんですよ」