ぐっすりと寝て朝起きると、分校の中はまるで冷蔵庫の中のように、しんと冷えている。ストーブをつけてカーテンを開けると、まだ雪は降り続いていた。すぐに着替えてカメラを持って外へ飛び出す。
見えるもの全てを覆い隠す雪の風景は、全てが美しい。誰もいない。雪が吸収しているのだろうか、ほとんど物音もしない。時折どこからか、かすかに鳥の声が聞こえてくるばかりだ。こんな雪の中に、一体鳥はどこにいるのだろうか? そんなことを考えながら雪の中をしばらく歩いた。
分校に戻ると、私を十日町の市街地まで送るために、多田さんが待っていてくれていた。
私は多田さんにひとつ質問したいことがあった。それは多田さんたちのNPOの名称である。なぜ「NPO地域おこし」なのだろうか? 普通は「地域おこし」の前に、おこすべき地域名が入るはずなのである。
その質問に多田さんはこう答えてくれた。
実は「NPO地域おこし」は、2017年4月までは「NPO十日町市地域おこし実行委員会」という名称であった。震災復興と集落の存続をめざしてきた「NPO十日町市地域おこし実行委員会」と集落の人たちの奮闘によって、池谷集落は奇跡の復活を遂げ、地域の後継者候補となるような移住者も増えてきた。NPOの当初の目的であった集落の存続は、ひとまず先が見える状態となった。全国の過疎地のモデルになるような地域としても知られるようになってきた。
これからは引き続きこの集落を存続させながら、全国の過疎地の農山漁村や中山間地域の振興を図る活動をし、全国の過疎地を元気にする事業をしていきたい。それが多田さんたち「NPO地域おこし」の新たな目標なのである。
そのためには、企業や行政と積極的に関わり、池谷集落を地域おこしのモデルケースとして様々な方法で全国に発信していくのも重要だし、最近では逆に農林水産省や経済産業省などの省庁や、あるいは地方自治体などから話を聞かれることも増えてきたという。「自分の目指していることは日本の社会の仕組みそのものを変えていくことだし、自分がこうして地域に入って活動することは一つの社会実験のようなものです」と多田さんは言う。
町へと向かう車の中で、先ほど一人で歩いてきた雪景色が、どんなに美しかったか、と私は多田さんに伝えた。「この素晴らしい雪を見るためだけにでも、もう一度池谷集落に来たいなあ。でもこの雪の下に、棚田もあるんですよね。それも見に来なくちゃ」と私が言うと、多田さんは「山菜採りも、田植えも、稲刈りもありますよ」とまたすぐにここへ戻って来たくなるような情報をたくさん教えてくれた。