1984年から毎冬、必ず開かれていた田んぼリンクの伝統が途切れたのは、2011年。東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の際、川俣町内で山木屋地区だけが避難指示区域に入ったため、休止を余儀なくされた。
原発事故は、山木屋地区を大きく変えてしまった。震災前は580世帯、1260人の住民がいたが、現在は150世帯、居住者数は330人にまで減った。スケートの火を消さないために田んぼリンクが再開されたのは、除染が終了した2016年2月。2015年の秋に一度、田んぼリンクの見学に来たことがあるフィギアスケートの浅田真央さんからは激励のメッセージが届いた。浅田さんは昨年2月にお忍びで田んぼリンクを再訪。酷寒のなかリンクの水まき作業を最後まで手伝ったそうで、大内さんは「浅田さんは本当にすごい人だ」と何度も口にしていた。
2017年3月31日に避難指示が解除されたこともあり、昨年からはまた学校の授業でも使われるようになった。しかし、川俣スケートクラブの会員はゼロになってしまった。リンクの整備や運営を担う大人も有志を含めて10人弱しかいない。滑りに来る子どもの数も目に見えて減ってしまった。
それでも、住民にはしっかり愛されている。取材に行った日、地元在住で、子どもを連れて遊びに来ていた若いお母さんはこう言っていた。
「子どもたちはここが大好きで、毎週末来てるんです。本当にありがたいですね。利用料がすごく安いので、大丈夫かなと思うくらいです。もっとたくさんの人に知ってもらいたくて、ここに来るたびにSNSにアップしているんですよ。氷をつくるのは大変だと思うけど、これからも続けてほしいですね」
まだ小さい子どもたちに「寒い?」と尋ねたら、「寒くない! 楽しい!」と元気な答えがかえってきた。
この子たちのような存在が、大内さんにとって今も大きな希望になっている。
「ここに滑りに来る子のなかに、まだ磨けば光りそうな子がいるんだ。36年もやっていれば、わかるじゃないですか。もう1回、全国に羽ばたく子どもを育ててみたいですね」