未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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36年間守り続けた天然氷のスケート場

田んぼリンクで夢をみる。

文= 川内イオ
写真= 川内イオ
未知の細道 No.131 |8 February 2019
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#4田んぼリンクで見た夢

 1985年には「川俣スケートスポーツ少年団」が結成され、地域の小中学生109名が参加。それに伴って田んぼリンクも拡張された。

 大内さんたちは子どもたちに本気でスケートを教えた。そのかいあって、1995年に福島で開催された第50回国民体育大会では、このスケートクラブ出身の選手9人が県代表に選ばれた。教え子が出場するレースの時、大内さんはサングラスを外せなかった。あまりに誇らしく、胸が熱くなって涙が溢れたからだ。

  • 田んぼリンクで育った選手たち。右の写真は1995年の福島国体に参加した9人。

 その後も川俣スケートクラブは優秀な選手を輩出し続けて、これまでに53人の国体選手を生み出している。なかにはインターハイで5位に入賞した選手もいるそうだ。現在69歳の大内さんは「ここでたくさんの夢を見させてもらったんだ」と振り返る。

 田んぼリンクは町の人たちにも開かれていて、地域の小学校の授業で使われたり、「氷上運動会」が開催されてきた。

1月末の利用状況。地域の小学校と中学校が使用している。

レンタルスケート靴の手入れをしていた男性はこう話してくれた。

 「僕がかかわるようになったのは1991年から。自分の子どもを連れてきたのがきっかけでね。ここに16センチの靴があるでしょ。この小さなやつを履かせたんだ。ここにあるスケート靴は、36年前から使っているものもあるんだよ。今はもう売ってない形だね。山木屋の子どもたちはみんなここでスケートの授業を受けているから、もうパパ、ママになっているのもみんなちゃんと滑れるんだよ」

36年前から使われているスケート靴。年代物だけどちゃんと手入れされていて普通に使える。

 僕の膝がガクガクになった理由がわかった。僕が借りたのは古いスケート靴で、最新のものとぜんぜん形が違う。刃が細く、足首も固定されていなかったのだ。

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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