1985年には「川俣スケートスポーツ少年団」が結成され、地域の小中学生109名が参加。それに伴って田んぼリンクも拡張された。
大内さんたちは子どもたちに本気でスケートを教えた。そのかいあって、1995年に福島で開催された第50回国民体育大会では、このスケートクラブ出身の選手9人が県代表に選ばれた。教え子が出場するレースの時、大内さんはサングラスを外せなかった。あまりに誇らしく、胸が熱くなって涙が溢れたからだ。
その後も川俣スケートクラブは優秀な選手を輩出し続けて、これまでに53人の国体選手を生み出している。なかにはインターハイで5位に入賞した選手もいるそうだ。現在69歳の大内さんは「ここでたくさんの夢を見させてもらったんだ」と振り返る。
田んぼリンクは町の人たちにも開かれていて、地域の小学校の授業で使われたり、「氷上運動会」が開催されてきた。
レンタルスケート靴の手入れをしていた男性はこう話してくれた。
「僕がかかわるようになったのは1991年から。自分の子どもを連れてきたのがきっかけでね。ここに16センチの靴があるでしょ。この小さなやつを履かせたんだ。ここにあるスケート靴は、36年前から使っているものもあるんだよ。今はもう売ってない形だね。山木屋の子どもたちはみんなここでスケートの授業を受けているから、もうパパ、ママになっているのもみんなちゃんと滑れるんだよ」
僕の膝がガクガクになった理由がわかった。僕が借りたのは古いスケート靴で、最新のものとぜんぜん形が違う。刃が細く、足首も固定されていなかったのだ。