なぜ生まれ育った埼玉から、柏に? しかもこんな人里離れたところへ? この場所でお客さん相手の「店」をやるには、あまりにも辺鄙すぎるように思えたのだ。
私の質問に「ギター製作、修理の作業場として物件を借りるのは、実は条件が厳しいんです」と、斎藤さんは答えた。木が素材であるギターは、削りだすときに木屑が多く、部屋が汚れやすい。そして音の調整には、かなりの音量を出さなければいけない。仕上がったエレキギターをお客さんがチェックする時は、爆音で試奏する人も多いのだ。
何より一番の問題は塗装だ。弾く人、そしてコレクションする人の両方にとって、音だけでなく美観も重要なギターは、アコースティックでもエレキでも、美しく塗装して仕上げる。ギターはいつの時代でも、その音ともに見た目の「カッコ良さ」が求められる楽器だからだ。大切な仕上げである塗装作業だが、匂いがかなりあるので、街中や住宅街で行うのはかなり難しい。
つまり人がいないこの環境こそが、ギター・リペアの仕事にはぴったりの場所なのだ。使い道がないから自由に使っていい、と大家さんが言ってくれたこの工房を借りて仕事をするようになってから「もう街なかには住めないです」と斎藤さんは笑って言った。「でも、ここは住まいも兼ねているから、初めて泊まった日はちょっと緊張しましたけどね」なにしろ隣の家まで400メートルくらい離れているのだという。
ここに暮らしていて不便なことはないですか? と尋ねると、「公共の交通機関がないので、街にお酒を飲みに行くことが減ってしまった以外は、自分にはここの生活が合ってる気がしますねえ。近くに人がいないから、風邪を引くこともないんですよ」と斎藤さんはさらりと言う。
そんな話をしていると工房の隣の住居スペースから、ガタガタと音がする。なんだろうと思うと、斎藤さんが開けた扉から、白い生き物がするりと工房の中に入ってきた。大きな猫だ。「Q太郎って言います。楽器があるから工房には普段は入れないんですけど」
最初は一人でここに暮らしながら仕事をしてきた斎藤さんだが、いつの間にか、この辺りの野良猫たちが居つくようになった。「特別、猫好きなわけじゃなかったんですけど、いつの間にか猫たちに取り込まれちゃった、というのが正しいですかね」と斎藤さん。これまで全く人気のないこの場所に急に現れた斎藤さんに、猫たちも興味津々だったのかもしれない。今では斎藤さんもすっかり猫好きになってしまい、このQ太郎を含めた4匹の猫を飼っている。
そして5年前から、ここで共に過ごすパートナーにも巡り合った。斎藤さんのパートナーは会社員なので、土日だけここにきて、一緒に過ごすのだという。パートナーもここに来るようになって、猫に取り込まれちゃったみたいですね、と斎藤さんは笑って言うのだった。
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松本美枝子