マンゴーと二人の出会いは、思わぬところからやってきた。
2009年のこと。当時、保田さんが生産を手がけていた胡蝶蘭の苗を販売している沖縄の取引先から、マンゴーの贈り物が届いた。実は保田さんはそれまでマンゴーを意識して食べたことがなかった。沖縄から届いた赤いマンゴーは美しく、おいしさよりも、まず、その実の見た目に関心がいった。きれいだなあ、この実を栽培してみたいなあ。保田さんはそんなふうに思ったのだという。おいしさよりも、まずその美しさに惹かれるなんて、さすが園芸家らしい感想だなあ、と花より団子の私は内心思った。
保田さんはさっそく、二本の苗木を沖縄から取り寄せて、育ててみることにした。もちろん、これからマンゴーを大規模に生産するようになるとは、その時は夢にも思ってはいなかった。初めはただ、趣味でマンゴーを育ててみたい、と思っただけだったのだ、と保田さんは言う。
マンゴーは春に植えると、次の年の夏に実が採れる。
この二本の木から、2010年に立派なマンゴーの実が6個ほど取れた。赤く色づいたきれいなマンゴーは、食べてみると、売り物と遜色なく美味しい。これはもしかしたら、美味しいマンゴーを大きく生産することができるんじゃないか? ふと保田さんはひらめいた。
ポットマムの生産を始めた頃、近隣で誰一人、花の栽培をやっていなかったように、マンゴーを生産している農家は茨城ではもちろん、関東ではほとんどいなかった。「なんでも、いつも人よりちょっと早く始めてるんだよね」と笑う保田さんは、思い切って200万円をかけて、マンゴーの栽培を始めることにしたのであった。
マンゴーのために花のハウスを一棟空けて、その中にある鉢を置くためのベンチは全て壊した。もし失敗したとしても、200万円ならなんとか取り戻せる、とりあえずやってみようか……、そんな気持ちだった。
そしてその年、50本の苗木が、「やすだ花香園」へ、いや、のちに茨城県のマンゴー生産地第1号となる未来の「やすだ園」へと、沖縄から海を渡ってやってきたのであった。
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マンゴーと茨城の食材巡りの旅 1泊2日
予算の目安1万5千円〜
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松本美枝子