未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
79

小さな出版社の静かなる逆襲!

「かまくらブックフェスタ」で70年後の世界に思いを馳せた

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.79 |25 Noveember 2016
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#8「美しい心の窓」

 その後もあちこちのブースで本やカードを購入した。お財布に残るのはぴったり一万円。 よし! もしこの一万円で足りたら、クートラスの全集を買おうと決めて、「エクリ」のブースに颯爽と戻った。
「この本、いくらですか?」
 勢いよく聞くと、「こちらは、3万円になります」と須山さんは穏やかに答えた。
 なあんだ、まったく足りないじゃないか! と笑いたくなった。どこかホッとしつつ、私はまた縁側で靴を履き、かまくらブックフェスタを後にした。あーあ、クートラスの全集は残念だったなあ。でも次にあの本に出会うことがあったら、その時はきっと買おう。絶対に買おう。それまで、しばらく待っててね。

 少し歩きたい気分だったので、閉館直前の鎌倉文学館に駆け込んだ。
 童話に出てくるような緑溢れるアプローチを抜け、昔ながらの瀟洒な洋館に入る。ここでは鎌倉と文学にまつわる様々な記録や手紙、原稿などが展示されている。バルコニーからは海が見えた。
 駆け足で展示を見ていると、あるパネルの間で足が止まった。

“鎌倉文庫は悲惨な敗戦時に唯一つ開かれてゐた
美しい心の窓であつたかと思ふ(川端康成『貸本店』より)“

 かつてこの鎌倉には、「鎌倉文庫」という貸本屋があっそうだ。開設は1945年の5月。まさに戦況が激しくなった頃だ。始めたのは、川端康成や大佛次郎などの鎌倉在住の作家たち。戦争で荒廃した人々の生活や心に楽しみを与えたいと、蔵書を次々と持ち寄った。
 鎌倉文庫ができたのは、ミウォシュがポーランドで『世界』を書いたのと同じ頃だということに、一抹の奇遇さを感じた。でも、これは偶然なんかじゃない。戦争という絶望的に悲惨な状況の中において、人々は、言葉が生み出す想像の世界に希望を見出す。それは、日本でもポーランドでも同じなのだ。

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未知の細道 No.79

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。