帰りは江ノ電には乗らずに、鎌倉駅まで歩くことにした。本がたくさん詰まったリュックは重かったが、足取りは軽い。夜が早いという鎌倉らしく、歩いている人は少ない。海の香りがするゆるい風が気持ちいい。
あの戦争から70年あまりが経ち、消えゆく寸前だった言葉が一冊の本として再生され、今まさに自分のリュックの中にある。それは、『世界』だけじゃない。『8号室』も『昔日の客』もクートラスの全集も同じだ。どれも目まぐるしく変わりゆく時代の流れの中で埋もれそうになっていたものに、人々の熱い想いで、再び光が当たるようになった。
「鎌倉文庫」は役割を終えてもうないけれど、あれから70年余りが経ったこの地には、『かまくらブックフェスタ』がある。志を持った出版社が集まって起こす静かなムーブメント。そのおかげで私は、改めて本というものに出会えた気がした。
今から70年後の世界を想像してみる。
えっと、2086年か……。世界の様相はどう変化しているのだろう。まったく想像もつかない。鎌倉の大仏はまだあるよね!? 鶴岡八幡宮は? じゃあ、この小さな商店は? わからない。わからない。
駅に入ると大勢の観光客が朝と同じようにホームに並んでいた。はっきりしていることは、今ここにいる多くの人が、自分も含めて、もはやこの世にいないということだ。
しかし、と思う。
もしかしたら、今は誰にも知られずにいる詩やエッセイや絵が、誰かに発見されて一冊の本になっているかもしれない。そうして、誰かの枕元にそっと置かれ、70年後の誰かを元気づけているかもしれない。そう思うと、ぱあっと世界が明るく見えた。
——本があれば、言葉は生き続ける。
そう信じることができた今日は、すばらしい日だ。
川内 有緒