未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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小さな出版社の静かなる逆襲!

「かまくらブックフェスタ」で70年後の世界に思いを馳せた

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.79 |25 Noveember 2016
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#2重さ4トンの光り輝く本 (エクリ)

 「わ、あれは!」
 会場をぐるりと見回した私は、喜びの声をあげた。
 そこにあったのは、『Robert Coutelas 1930–1985 ロベール・クートラス作品集 ある画家の仕事』という美術書だ。たくさんの本の中でも、後光が差したようにピカーッと輝いている。
 私は、きゃああと舞い上がりながら近づいた。
 ロベール・クートラスは、20世紀のフランスの画家である。アーティストとして高い評価を受けながらも、画廊に求められる通りに描くことを拒否し、貧しい生活の中で、身のまわりのものや小さなカードにひっそりと絵を描き続けた。
 十年くらい前に、私はなんの予備知識がないままに作品を見たのだが、その不思議な魅力にすっかりとりつかれてしまった。こんなところで会えるとは!
「全集なんて出てたんですね! 知らなかったです!」
 ブースの男性に話しかけると、いかにも嬉しそうに、「どうぞ手にとってみてください」と微笑みかけてくれた。その人こそが、全集を企画・編集した出版社「エクリ」を営む須山実さんだった。
 全集は堂々の二冊組。クートラスが生前売ることを許さなかった貴重な作品群に加え、デッサン、ドローイングなども贅沢に収録されている。おかげで、本は600ページにも及び、重さはなんと二冊で3.8キロ(!)もあるそうだ。
「これだけの厚さを一冊にすると、どうしてもページがきれいに開かないんですね。だからコストはかかるけれど、あえて二冊にしました。初版は千部なので、印刷所から届いた時は、重さが4トン近く。床が抜けないようにと事務所と自宅など幾つかの場所に分けて運びこみました」(須山さん)
 さらにエクリでは、この本の発送専用の段ボールも特注したそうだ。「ちょうどいいサイズのしっかりしたダンボールがなかったので」(須山さん)
 写真集やアートの作品集が売れなくなったと言われて久しいが、その流れに真っ向から逆らうように出版されたこの豪華な作品集。いくら魅力的なアーティストとはいえ、出版の決断には迷いがなかったのだろうか。
「いや、クートラスの作品に一目惚れしたので、自然に作ろうということになってましたね」
 そうさらりと言う須山さんは、とてもかっこよかった。
 作品集には、気になる値段は書いていなかった。
「いくらですか」と喉元まで出かけたが、とりあえずは飲み込んで、通り過ぎることにした。
 たった五秒で欲しい本が見つかるなんて、大当たりの1日になる予感がした。

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未知の細道 No.79

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。