未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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馬と共に歩んでいきたい

女手ひとつで作られた美しき馬森牧場へ

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.63 |20 March 2016
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#9今日死んでいいが毎日更新される

 牧場の敷地内をぐるりと一周すると、最後に高台に出た。丸っこい形の可愛らしい山々が望めて、お天気がよれば、富士山も見える。どこらへんまでが菅野さんの土地なんですか、と聞くと、「あそこです」とはるか遠くにある杉の木を指差した。
「時々、あの展望台まで行くこともありますよ」とひときわ小高い丘を指差した。道交法的には、馬は軽車両の扱いなので、公道を通っても問題がない。しかし、道行く人は驚かないのだろうか。
「いや、別に。ここら辺は、以前はみんな牛などの大型動物を飼っていましたから、慣れてるんでしょう」
 高台からは、緩やかな階段状の草地も見えた。今はあまり使われていない棚田らしい。百年前、ここは稲作や酪農が盛んな地域だったそうだ。しかし、時代が流れ、酪農は廃れ、田んぼも減った。今や伐採されない竹と外敵がいないイノシシばかりが元気だ。なるほどなあ。開拓者はこうして、打ち捨てられた土地に再び命を吹き込んでいるんだなあと思った。
 この場所にいる菅野さんは、とりわけ幸福そうに見えた。この高台こそが大好きな夕日のスポットだ。
「ベンチに座ってぼおっとしているのがいい。毎日見ているから、日が入る位置で季節の移り変わりまでわかるようになりました。もう魂が抜け落ちるような感動があります。今日死んでもいいっていうのが毎日更新される」
 今日死んでもいいとはすごい言葉だ。そう断言できる人が、この世にどれくらいいることだろう。彼女は、「今日」という日をきちんと生きているんだろう。
「晴れでも曇りでも雨でも、馬たちの群れに混じって動いていることで、不思議と充実感がある」と彼女は語る。

 しかし、もし本当に菅野さんが死んでしまったら、きっと今の旦那さんが悲しみますよ、と私は思った。そう、菅野さんは、二年半前にここにボランティアに来た男性、Tさんと結婚した。出会って3ヶ月の電撃結婚で「お互いよく知らないまま結婚した」そうだ。システムエンジニアだが、馬が好きでかつては厩務員としても働いていいた。だから、厩舎の掃除や餌やり、力仕事などを手伝ってくれるのでとても助かるそうだ。
「うんこ拾い、私よりきれいですごく早いです!」

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未知の細道 No.63

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。