未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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馬と共に歩んでいきたい

女手ひとつで作られた美しき馬森牧場へ

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.63 |20 March 2016
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#7最後の日をここで

 移住から三年目となる2010年も、相変わらず牧場作りは続いていた。底なし沼になるような土地と格闘したり、新しい馬を迎えたりと少しずつ前に進んでいたある日、淳さんに病が発覚した。─―検査の結果は、末期がん。
 菅野さんも病院に通い詰め、もう牧場作りどころではなくなった。
「それも原発不明がん。普通だったら、肺とか胃とかがんが発生した場所が分かるんですが、分からないから治療法もない。いろんな薬を試しても全然効かずに、免疫力だけがどんどん落ちていくんです」
 もがいているうちにも、命の砂時計はさらさらと落ちていく。それは、どんなに辛い日々だったことだろう。それでも淳さんは、最後まで生きたいと願い続け、治療を諦めなかった。しかし、ついに動けなくなると、『病院にいたくない。お願い、最後までこの家にいさせて』と菅野さんに頼んだ。いつの間にか山に囲まれた家こそが、彼にとって「帰りたい故郷」になっていたのだ。
 そして、家で最後の時間を過ごし、いよいよ容態が危ないという時に病院に運ばれ、そのまま亡くなった。冷たい雪が降りしきる日だった。
 享年、四十歳。病気の発覚からたった八ヶ月後のことだった。
「そうして、先の見えない人生が始まったんです」
 淡々と話す彼女は、遠くの山を見つめながら、何かを思い出しているようだった。
 十年来のパートナーだった淳さんは、彼女にとって人生の師でもあったという。「物の考え方の先生です。考え方の転換がうまく、いつも感心しました」
 思い返せば、美容整形のサイトを始めたのも、淳さんの言葉がきっかけだった。当時、景気の影響で会社を解雇されてしまった菅野さんが、「仕事、なくなっちゃったよ」と言うと、逆に「仕事がなくなるなんてすばらしいじゃないか! 明日からどんな仕事をしたっていいんだよ!」と淳さんは嬉しそうに答えた。
 その時に考え方がガラリと変わり、自分で自分の仕事を作ろうとサイト運営を始め、それがうまくいって今の牧場の原資になった。だから、牧場を始められたのも、ある意味で彼のおかげだったのかもしれない。
 しかし、その彼はこの世を去り、彼女は広い牧場で立ったひとりになってしまった。それでも、馬の世話は休めないし、草木は伸びる。
「悲しくてたまらないときは、作業に没頭しました。泣く暇があったら重機に乗って。日の出前から木を切ることもあった。集中できることがあったから、やってこれたんです」

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未知の細道 No.63

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。