街の西側を占める大塩地区に入り、国道沿いに「炭酸水」の看板を見つけ車を駐車場へ。ここで天然炭酸水保存会の馬場清次さんと会い、炭酸水の枠井戸を案内してもらう。馬場さんはJAを退職された後に金山町会議員を3期務め、在任中に天然炭酸水で町おこしを行った人だ。
きれいに整地されたブナの森林の入口に、丸太で組んだ建屋があった。すぐ隣りには天然炭酸水をボトリングして出荷するメーカーの工場がある。私が柳津で見つけたのは、ここで製造された炭酸水だ。
「集落の人にとっては、ただの井戸水。炭酸が入っているのが当たり前だったから不思議にも思わなかった。私は隣の只見町出身で、ここはピクニックしにくる場所だった。地元の子どもたちはサッカリン(人工甘味料)を持ってきて炭酸水と混ぜて、自分たちでサイダーにして飲んでたよ」
馬場さんが町史をさかのぼって調べたところ、井戸は少なくとも明治時代には存在したことがわかった。言い伝えなども含めると、もっと古い時代に掘られたことは間違いない。
むかしむかし、大塩は「地獄沢」と呼ばれていた。湧き水のせいで地盤がゆるく、土地がジメジメと湿っていた。さらに他ではまず見かけることのない、ガス泉の存在。雨が降ってできた水たまりが、シュワシュワと泡立っている。空気よりも重いため地表に充満する炭酸ガスが、水たまりの水を炭酸水に変えていたのだ。噴出するガスは有毒性があり、大量に吸い込むと気分が悪くなる。「あそこは危険だ」と噂が立ったのだろう。
それが明治時代に入ると一転して、井戸は「金のなる木」に変貌する。「養蚕が盛んだった当時、ここで汲み上げた天然水は何十倍もの売上があったと町史に記録があってね」。馬場さんはそう語る。