夜7時の大宮の繁華街には、たくさんの人で溢れていた。
撮影を終えた「←」のチームは、その一角にある大宮タカシマヤの6〜8階階段踊り場にあるローズギャラリーへと向かった。都内から戻った長島さんと、このプロジェクトのデザイナー、福岡泰隆さんも合流していた。
ここで今日撮影したような写真を編集してレイアウトした「紙芝居」と呼んでいる大判プリントを、会期中、少しずつ展示していくのだ。タカシマヤが閉まってから、展示作業を始める「←」のチーム。
取材した日はまだトリエンナーレが始まったばかりだったから、「紙芝居」の枚数は少なかった。今夜のうちに3枚ほど、大判のプリントを貼る作業をするのだという。
それでも写真に収められた、たくさんの「←」は壮観であった。
テーマが決まっていても、人の造形とは、こんなにも自由で、個性豊かなんだ、と改めて、一つ一つの「←」を見て思う。
この「←」を作る人は、この「←」が掲げられた家に住む人たちは、いったいどんな人々なんだろう、と思わず想像しては笑みがこぼれてしまう。たくさんの「←」からは、確かにそこに生きる人々のそこはかとない気配が漂っていた。
これから、会期を追うごとに、写真はもっと増えていくだろう。
「会期が始まってからも、まだ参加できる! というのが、このプロジェクトのポイントなんですよ」と長島さんは笑って教えてくれた。きっと「←」を作って参加する人もこれからまた増えるに違いない。そうすると川瀬さんの撮影はますます大変になりそうだ! と私は思った。それはきっと嬉しい悲鳴、というやつだ。
さて、まだまだ作業中のチームと別れ、また増える「紙芝居」を見に来る事を約束して私は、長島さんと「←」のチームの皆と別れた。
夜9時前、大宮駅から街へと流れる人並みと、反対方向へと歩いていく。仕事を終えて家路に向かう人々だろうか。雑踏を歩きながら、さいたまって、本当にたくさんの人が住んでいる街なんだよな、と改めて思う。
そういえば長島さんは、「埼玉都民」って言葉を使っていたっけ。たくさんの人が住んでいるけれど、首都に働きに行く人が多いこの街では、昼間はその顔が見えにくい。でもそこに確かに人が住んでいることを、人々の物語があることを、さまざまな「←」を見て、感じてほしい。「←」とは、そんなプロジェクトなのだ。
さて「←」のプロジェクトがこの後どうなったか、ぜひ「さいたまトリエンナーレ2016」(会期:2016年9月24日〜12月11日)を見に行って欲しい。まずは大宮タカシマヤへ「←」の写真の物語を見に。それからさいたま市に散らばる、「←」を見に街へと出かけて欲しい。そこにはきっとよそゆきでない、普段のさいたまの町があるはずだ。「←」を作った誰かとすれ違うこともあるかもしれない。そして、それから、その「←」を道しるべにして、さいたまの街で繰り広げられている、たくさんの現代アートの作品たちに会いに行って欲しい。
松本美枝子