未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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人も町も発酵する小さな王国・神崎

歌って、踊って、ぐるぐる回って、さあ発酵!

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.64 |10 April 2016
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#9イライラしているとパンは膨らまない

  そんな寺田本家の酒粕と出会うことで、パン屋さんになった人がいると聞き、「酒粕自然酵母 福ちゃんのパン」を訪ねた。そこは町で一軒だけのパン屋さんだ。
 木がふんだんに使われた明るい店内に、バゲットやパンドゥカンパーニュ(田舎パン)ベーグル、惣菜パンなどがきちんと並んでいる。店主の福士智之さんは松戸からこの街に移住してきて、2009年にパン屋さんを開いた。ふふ、彼も外から来た菌というわけだ。

 福士さんは、もともとはお米の農家になるつもりだった。天然酵母のパン屋さんで働きながら、不耕起栽培のコメ農家を訪ねて神崎に足繁く通うようになる。そんなある時、偶然に「むすひ」の酒粕を手に入れた。  福士さんは、「こんなん、もらっちゃった」と軽い気持ちでパンを焼いてみた。そしてすっかり驚いた。膨らみもよく味も抜群だった。 「これ、いいね!」と夫婦は顔を見合わせた。酒粕を使ったパン屋さんなんて珍しいし、神崎にはまだパン屋さんがない。やってみよう! と、パン屋になることを決意し、「福ちゃんのパン」を開いた。すぐにそのパンは、「素材の味がする」「お腹にもたれない」と評判になった。  酵母には、寺田本家の酒粕の他、自家製のどぶろくも使う。福士さんは、この店をオープンする前の半年、寺田本家で手伝いをしたので、酒造りの基本を知っていた。だから、「福ちゃんのパン」と「寺田本家」は発酵現象を通じて固く結びついている。

 しかし、この小さな田舎町でパン屋さんを続けていくことは、決して簡単ではないと福士さんは苦笑した。
「ここでは主食はあくまでお米で、パンはおやつなんですね。それに、バゲットのようなハード系のパンに慣れていなくて、ふわふわしているパンに慣れているんです」
 だから「お兄ちゃんとこのパン、固いね!」と言われてがっかりすることもある。一方で、「孫がここの以外のパン、食べなくなっちゃって」といいながら、買いに来てくれるおばあちゃんもいる。他の町からわざわざ買いに来てくれる人も少なくない。そうやって、今日も福士さんはどぶろくをブクブクさせ、パンを焼く。
 最後に、また「福士さんにとって発酵とはいったい何だと思いますか」と聞いてみた。すると、しばらく考えて、フッと「“楽しい”かなあ」と答えた。そう言われれば、店内には、「楽」の漢字を形どったピンクの絵が飾られている。小さな町のパン屋はちょっと大変だという話を聞いた後だっただけに、その答えに気持ちがほわっと温かくなる。
「ご飯を作る時、イライラしていると美味しくない。パンもイライラして急いで作ると膨らまなかったりするんです。状態を見ないで自分の都合で作ってしまうからですね。でも、実際にパンを膨らませるのは、おいらじゃない、微生物なんですよ。だから自分都合にやると、発酵が終わってないのに焼いちゃったりする。でも、うまくやれば、勝手に膨らんでくれる。それって面白くないですか? 面白い、イコール楽しいですよね!」
 いいですね! と私は頷いた。それは、寺田本家の優さんの言葉とも通じていた。だから、焦ってもしょうがない。ゆっくり、ゆっくりと瞬間を楽しめばいいのだ。
 その時、ちょうどお客さんが入ってきたので、私も幾つかのパンを買い、お店を後にした。


未知の細道 No.64

未知の細道のに出かけよう!

こんな旅プランはいかが?

発酵の里こうざき(日帰り)

予算の目安 お食事代やお買い物代など

最寄りのICから圏央道「神崎IC」を下車
日帰り
こうざきの町を散策
お好みで「鈴木糀店」や「月のとうふ」 「福ちゃんのパン」などをめぐる。 (その他にもお店はありますので、町歩きガイドブックを手にいれよう!)
鍋店 の酒蔵やフジハン醤油の蔵を見学 (要予約)
神崎神社にお参り
利根川の辺りを散策
「道の駅」 の発酵市場でお買い物

時間や体力があれば、こうざきふれあい自然遊歩道やこうざき天の川公園へ足を延ばすのもおすすめ

※本プランは当サイトが運営するプランではありません。実際のお出かけの際には各訪問先にお問い合わせの上お出かけください。

川内 有緒

日本大学芸術学部卒、ジョージタウン大学にて修士号を取得。
コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究にいそしむ。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。2004年からフランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。現在は東京を拠点に、おもしろいモノや人を探して旅を続ける。書籍、コラムやルポを書くかたわら、イベントの企画やアートスペース「山小屋」も運営。著書に、パリで働く日本人の人生を追ったノンフィクション、『パリでメシを食う。』『バウルを探して〜地球の片隅に伝わる秘密の歌〜』(幻冬舎)がある。「空をゆく巨人」で第16回開高健ノンフィクション賞受賞。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。