普段の日曜日でも約2万人、ゴールデンウイークなどの連休時は約5万人、最大で7万8000人が訪れたことがあるという館鼻岸壁朝市。人々はきっと、現代の日本ではなかなか味わうことのできない自由で温かい賑わいに惹きつけられているのではないだろうか。
館鼻岸壁朝市を参考にしようと日本全国から視察が絶えないそうだけど、この雰囲気を再現するのは簡単じゃないと思う。なぜなら、行政がタッチしていない民間主体の朝市で、出店者の審査と管理も朝市を運営する協同組合湊日曜朝市会が担っているからだ。
「出店者は理事全員で面接をして決めますが、儲かりそうだから出店したいという人は歓迎しません。ここで朝市がスタートした時から、普段モノを売っている人以外にも出店の許可を出してきました。地元の農家さん、漁師さんとか、いろいろな人に『ここで売ってみたら?』と声をかけてきたんです。そしたら市場に卸せない野菜や魚をスーパーよりも安い価格で売ってくれてね。それを求めて地元の人がどんどん集まって来るようになって、口コミだけでここまで広まったんです。役所が絡むといろいろな縛りがあるけど、ここにはそれがありませんから(笑)」(慶長さん)
現在は八戸の名物になっている館鼻岸壁朝市だが、実はそれほど歴史があるわけではない。前身は八戸の湊町・山手通りで開催されていた湊日曜朝市。多くの人を集める人気の朝市だったが、商品が道路にまで溢れ、渋滞を引き起こすようになって警察からストップがかかった。
そこで移転先を探していた組合が目をつけたのが、館鼻岸壁。もともとは使い古された漁網や廃車、壊れた冷蔵庫などが放置されているようなうらぶれた場所だった岸壁を、きれいに掃除して朝市に使わせてほしいと八戸市に直談判。その結果、2004年6月にスタートしたのが館鼻岸壁朝市だ。だから、運営主体は今も「協同組合湊日曜朝市会」。
当初の店舗数はおよそ80、来場者も5、6000人ほどだったが、出店料を年間1万3000円に抑えて出店者を幅広く募り、「儲ける」ことよりも「地元密着」を優先することで独特の空気感が醸成された。僕が見たミシン屋さんも、布団屋さんも、朝2時過ぎから客が並び始める塩手羽屋も、だいたい地元の店だ。慶長さんが「朝市らしくない」と形容するこのなんでもあり感が、館鼻岸壁朝市のエンターテイメント化につながっている。