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未知の細道

35
Text & Photo by 和田静香 第35回 2015.1.23 update.
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はっきよい! のこった! 土俵を支える美しくも力強い伝統の技

大相撲の本場所で関取が締める特別な「まわし」を「締め込み」と呼ぶ。
その「締め込み」を今も手織りで作る、おそらく日本でただ一人の職人さんが琵琶湖北部の小さな町にいる。
手と目だけが頼りのアナログで卓越した技が日本の相撲を支えている。

滋賀県長浜市

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「まわし」って誰が作ってるんだろう?

ふと、「まわし」って、どこで誰が作っているんだろう? と思った。そう、おすもうさんが締めている、ま・わ・し。
大相撲の世界には色んなルールというか、長年の歴史の中で育まれた伝統があり、まわしもその伝統のひとつ。大相撲ドットコムには「本場所の土俵で相撲を取るとき、腰に締める廻しのことを『締め込み』と言い、『取り廻し』あるいは『揮』とも言います。十両以上の力士だけ、本場所で稽古場と異なる締め込みをつけられます。幕下以下の力士は本場所の土俵でも稽古場と同じ稽古廻ししかつけられません」と説明されている。

少しややこしいけど、そうなると私が知りたいのは正確には十両・幕内以上の力士=関取が本場所で使う締め込み、のこととなる。関取が本場所で使う締め込みって、どこで誰が作っているのだろう?

大好きなあの関取、この関取……ああ、私は大相撲・命!のライター。大好きなあの方々が闘いの場で唯一身にまとう、武将たちの鎧にも匹敵する締め込みのことを、ぜひとも知りたい! どんな風に、誰が作っているのか、この目で見てみたい!

旅はそんな疑問への探求と、溢れんばかりの愛情で始まる。私は一路、滋賀県へ向かった。大きな琵琶湖の北に位置する長浜市の西浅井町山門。名前の通りに静かな山あいの小さな集落で、道の隅には雪山が積まれ、畑は一面の雪で覆われ輝いていた。

妻の勧めで始めた織物

空気はキリリっと冷たく澄んで、シーンとして音がない。寒いけど気持ちのいい、とても清らかな印象の場所だ。

その集落の一画に「カタンコトン」と絶え間なく音を響かせている工房がある。京都に本社を持つ「おび弘」の山門工場で、そう、ここで私が探し求める締め込みが織られている。
「こんにちはー! お邪魔しますー!」
大きな声で言って引き戸をガラガラっと開けると、はた織り機がズラリと左右に並び、壮観。「カタンコトン」と大きな音をさらに響かせていた。

「まぁ、ここに座ってらっしゃい」
工房の入り口に据えられたテーブルの椅子をすすめてくれた男性が、私がどうしても会いたかった、締め込み織師の中川正信さん(68歳)、その人だ。

中川さん、わざわざ近所までたどり着いた私を、迎えにも来てくれた。なんて親切な! 私はもう最初から「この人が締め込みを作っているのか!」と思うと、否応なくテンションあがりっぱなし(笑)。さて、何から伺おう。

「今、締め込みは織られてるんですか?」
「注文が来るのは番付発表があって、場所が始まるまでの1か月間なんです。今は注文を待ってるところです」
この工房、基本は和服の手織り帯が中心だという。その日、「カタンコトン」と絶え間なく音を鳴り響かせていたのは、実は帯を織る音だった。

この工房では色とりどり美しい和服の帯を主に織る

中川さんはそんな帯工房の中でただ一人、締め込みを織る職人さんだ。
「締め込みを織り始めたのは昭和24年、おび弘の先々代の社長の池口国蔵からやと聞いてます。こういう生地を織ってもらえないか? と言われ、試行錯誤して今ここで使ってる機屋(はたや)を組み立てて始めやったんやな」

当時まだ、中川さんは生まれていない。地元・西浅井町に生まれ育った中川さんは昭和44年10月に出来たこの工房で働き始めた。元々は織師とはまったく関係なく、長浜の川魚の問屋などで働いていたが、妻の文子さん(仮名)がおび弘の遠縁にあたり、ここ西浅井町や近隣のマキノなどに工場を作るからと研修を受けて先生役となったのを機に、中川さんも文子さんに教わって1から手織りを始めた。

最初は帯を織っていたが、締め込みを織る人がいなくなって中川さんにお鉢が回ってきた。「夜逃げしないとならない(笑)」と思ったほど大変だったけど、徐々に腕をあげて20年以上。今に至る。もちろん、締め込みも手織りだ。

帯を織るための手織り織機が工房に
ぎっしり並び、それ自体が美しい
締め込みはすべすべでしっとりとした手触り
あの横綱が気に入った!

中川さんが何枚かの端切れを出してくれた。 「これは?」 「これは締め込みの端切れです」 「これがそうなんですね!」

触ってみる。締め込みに触るのは生まれて初めて。実は締め込みは製作する間はいいけれど、いったん出荷されたら女性が触るのはタブーとされる。それもまた大相撲の伝統。
でもこれは端切れだし、ここは工房だし、触り放題。やったー! つるつるして手触りがよく、思っていたよりずっと硬くて厚みがある。光沢があって、うっとりするほどにキレイ。

「締め込みの巾は76センチで、長さは尺で出すから、だいたい今の関取らは20尺ぐらい、7メートル少し前後が多いね。昔、曙さんのを織ったときは38尺もあってね。重さも10キロぐらいあったとちゃいますか」

ええっ? 38尺、10キロ? そんなに長くて重いものを巻いてるのか。
ていうか、曙さん? いきなり出た元横綱の名前に興奮。いちばん聞きたいこと、聞かなきゃ。

「今までどんな関取の締め込みを織られたんですか?」
「締め込みは関取の後援会さんが問屋に注文されて、うちの会社に来て、それでここに言われる。だから、これは誰のって正確には実は分かりまへんのや。ただ、締め込みには金糸で一寸ぐらいの筋を入れて織るんで、その筋が見えると分かります。ほら、こんな風に」

そういって見せてくれたのが、なんと! 2005年に横綱・朝青龍が連続優勝したときの記事の写真。「マジですか?!」興奮して声を挙げた。

「朝青龍さんはね、ほんまはうちの問屋とは付き合いのない部屋やったんけど、たまたま手にしたら『手触りがいい』と気に入って、それから3本ぐらい直接注文してくれはったんです。だから朝青龍さんだけは、うちのを使ってるとはっきりわかってました」

だーーーーっ(←涙の音です)。
朝さまはやっぱり本物を見ぬく人だ。あの人はあんなに色々叩かれたけど、やっぱり凄い人なんだ。朝青龍で相撲ファンになった私は、ものすごく、ものすごくうれしくなった。

そう思いながらも「それで、他には?」と尋ねる気の多い私だが、金糸の印が見えたり、「この色のを織ったな」と織った次の場所をテレビで見ていて分かったのは、現役では日馬富士、鶴竜、逸ノ城、稀勢の里、隠岐の海がそうじゃないかという。それに引退した千代大海、把瑠都、魁皇など。大好きな関取たちの名前のオンパレードにいちいち身もだえ、「うおっ~!」と雄叫びってしまう私。大相撲ファンにはたまりませんっ。
中川さん、気軽な感じで端切れを引っ張って、「ああ、これはたぶん鶴竜さんの端切れやで。これ、持ってってええよ」

ポンと端切れを一つ、私にくださる。わ、わ、わ、わんわんのですか?(←子犬に似てるからと、鶴竜関をファンはこう呼ぶ)わんわんの締め込みの端切れですか! 硬直。硬直ですわ。

横綱・鶴竜関の締め込みの端切れに大興奮

「お相撲、ほんと、好きやねんなぁ?今夜からそれ、抱きしめて寝ればええ」 中川さんに大笑いされました。

30分が限界の繊細かつ重労働

機屋(はたや)と呼ばれる、締め込み専用の手織り機も見せてもらう。
先々代の社長さんが始めた昭和24年から、一度も壊れたことのないという。複雑で、素人が見ても何が何やら分からないが、すごい! とだけは分かる。今は締め込みもほとんどが自動織機(機械)で織るから、おそらく手織り機は日本でこれ一台しか残っていないそうだ。

じゃ、中川さんが日本で唯一の手織りの締め込み職人?
「前にお相撲が好きちゅう、女性がひとり来て修行しとったんやけど、結婚して辞めてしもうてな。今は親せきの子がひとり手伝ってくれてます」 とは言え、技術の習得には最低でも3~5年はかかるという。相撲協会は中川さんを人間国宝に推薦したらいいんじゃないのか?

「何言うてまんねん」
中川さんはぜんぜん気取りがなくて、偉ぶらない。

「今これには、前に織ってた青いのがかかってます。大きな人やったらしく、25尺で織りました。経糸(たていと)は15,000本の糸が羽二重になっていて3万本。緯糸(よこいと)は太いのやら細いの4種類の糸を20~21本寄りあわせて1本の糸にしたのを使うんです。一種類の糸やと、クセが出て硬すぎたりやわらかすぎたりしてしまう。経糸が10段いったらいったん止めるやけど、ガサガサと手にひっかからないようにせんとな」
この青いのがたぶん逸ノ城関のだったんじゃないか?と言われてまた興奮する私。血圧上がってまうわ。

気温や湿度によって織る力を加減して変えていくそう

それにしても絹糸の数だけで驚くが、その糸をすべて目と長年の勘だけで織っていくんだから凄い。足踏みミシンのように足で踏みながら、ガタンガタンと3~40キロもある重い框(かまち)を押したり引いたりして糸を送る。緯糸は杼(ひ)という道具に巻き付けてあり、それを横から滑らせて入れて行く。

「框は重くて腕が痛くなるんや。力がいるし、緯糸で経糸をすくって傷がないか見ながらやって、30分が限界。そやから締め込みは2人でペアになって交代でやらなきゃ織れない。30分で4寸、それが限界やね」

30分で約12センチ織るのが限界。それを交代しながらやる。締め込みを織るのは力のいる、それでいて繊細な仕事だ。土俵の上で相撲を取るのと、そのまま同じじゃないか。
框の重さなどから肩を痛め、腕が上がらなくなる。片足で踏み、片足で踏ん張るから、夜寝ていると足が痙攣をおこすほどだという。1本の締め込みを1週間弱で仕上げねばならず、忙しいときには朝4時半から作業を始める。

そんなにまでして手織りにこだわるのは一体どうしてなんですか?
「手織りは自動織機で織ったものとは風合いが違いますねん。湿度や気温を見ながら加減して織っていけるのは手織りだけです」

締め込みは帯と違って無地。縦糸と横糸だけで勝負する。すべて中川さんの目と手で加減して絹独特の美しい風合いと光沢を最大限に生かす。なめらかにしてがっしりと強い締め込みは手織りならではだ。
その締め込みを関取が実際に使うときには水を打ちながらギシギシっと体に強く巻きつける。そうすると手が入りにくいからだけど、「締め込みを織るときは一滴でも水が垂れたらダメ。汗も落とさないように気を付けてやるのに、いざ締めるときは水を打つんやからねぇ」と、中川さんは笑う。でも、それもうれしそう。いつも関取が使ってくれることを思いながら織るそうだ。

力のいる織りは、男性でも一回に30分が限界となる

締め込みを手織りする恐らく日本で唯一の機屋
中川さんは締め込みを織るときに
関取が締めて土俵に上がる姿を想像する
二人三脚だからここまでこれた

機屋をつくづく眺めて、
「この機械だけでもすごいから、文化財に指定してもらったらどうですか?」 思わず言うと、

「そやなぁ。先々代は貢献してきたから、表彰状の一枚ぐらいはあげてやってほしいなぁ」
中川さんがつぶやき、

「でも商売やから、仕方ないやろ。これで生計たててきたんやから」
と、妻の文子さんがリアルなコメント(笑)。

帯は何色もの糸を使って模様にそって織っていく

「でも、魁皇さんも朝青龍さんも喜んで使ってくださってたんですよね!」(私)
「喜んでたかは分からないわよぉ」(文子さん)
「いや、魁皇さんは大関になっても変えないで、引退するまで色褪せても使ってくれはった」(中川さん)
「そんなこと言うたら、魁皇さん怒るんじゃない?」(文子さん)
「違うって。そんだけ愛着あったんや」(中川さん)

中川さんと文子さん、工房の開設から二人三脚でここまで来て、実に仲がいい。文子さんも今も帯を織る。帯の機屋の説明も1つ1つしてくれ、とっても明るく楽しい方なのに、「名前? かんべんや。写真? だめだめ」と、照れ屋なのが残念。文子さんの他、帯を織る職人さんは全員女性で10名。

一番キャリアの短い方でも20年も織っていて、仕上がると1本が100万円以上の高級品として百貨店などに並ぶ。

あ、締め込みは幾らぐらいするんですか?
「うちらは織ってるだけですからよく分からないんですが、1本100万円ぐらいのようですわ」
それぐらいして当然だな。ちなみに締め込みから紐みたいのが下がってるでしょう? あれは「下がり」というのだけど、あれもここで糸だけ4尺ほど渡して、別のところが作っているのだそう。

手織りで丁寧に作られる帯はどれも細かい模様が施されて美しい

最後に聞いてみた。中川さん、この仕事、好きですか?
「うん。満足感があるからな。僕は町とか嫌いやし、乗り物も嫌いやし。自然に接しながらこういう誇りを持てる仕事ができて最高なんや。目が見えなくなったり、身体が動けなくなったりする限界までやりたい。今はこういうものを次の時代につたえていかんとな、と思うてますのや。だからこういう取材にも答えるし、見学に来てもらうのも歓迎してます。京都の本社でも帯を織る見学会などもやってますから、いちど問い合わせしてみてください」

こんなにすごいものなのに、これまで一度も関取が見学に来たことはないんだそう。ここは相撲道の研究に熱心な若の里関にぜひともいらしてもらいたい! イチロー選手だって、自分の使うバットがどんな風に作られるか、見に行くっていうじゃないか。関取衆にも締め込みがどんな風に織られていくのか、見てもらいたいなぁ。

仏さまが見守ってる

見学を終えてから、中川さんと文子さんが、工房の隣にあるお寺、善隆寺にある和蔵堂へと案内してくれた。91歳になる和蔵順子さんが安置された十一面観音と阿弥陀仏頭について説明してくださる。

和蔵さんが優しい声で説明してくれるだけで癒される

隣で仏さまが見守ってるのか、なんともありがたい。その後、道の駅「あぢかまの里」で中川夫妻といっしょに鴨そばもいただいた。ここいらでは熱心に鴨を育てているそうだ。おいしい。さらにいっしょにいただいた琵琶湖の湖魚イサザを山椒の実と炊いた佃煮がウマウマ。湖魚がこんなにおいしいなんて知らなかった。

お土産として買える湖魚の佃煮のおいしさはピカいち!

知らないことだらけ。新しい発見がいっぱい。そして締め込みを織る中川さんは仕事に誇りを持ち、ひたすらに織り続ける素晴らしい方で心からうれしくなった。この方が織る締め込みをしたら、それだけで体温も上がって熱い相撲になるんじゃないか? などとも思ったり。ちなみに中川さん、こんな仕事をしてるのによく見ると、まつ毛長くてちょっとバタくさいルックス。そこがまたエエなぁと思っていた私です。

追記:近世の城下町のルーツと呼ばれる長浜(黒田官兵衛の黒田家の発祥の地)の観光に寄ってみるといいよ、と中川さんに言われて寄ってみました。かわいいお土産屋さんやカフェが趣ある古い建物にあって、かわいい街。女子ならぜひ!

平安時代に造像された十一面観音と仏頭が
安置された和蔵堂のある善隆寺
未知の細道とは
ドラぷらの新コンテンツ「未知の細道」は、旅を愛するライター達がそれぞれ独自の観点から選んだ日本の魅力的なスポットを訪ね、見て、聞いて、体験する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、気になる祭に参加して、その様子をお伝えします。
未知なる道をおっかなびっくり突き進み、その先で覗き込んだ文化と土地と、その土地に住む人々の日常とは――。

(毎月2回、10日・20日頃更新予定)
今回の旅のスポット紹介
update | 2015.1.23 はっきよい! のこった! 土俵を支える美しくも力強い伝統の技
織元 おび弘
京都に本社がある手織り帯製造メーカーで、今回ご紹介した山門工場では帯の刺繍を中心にまわしも製造しています。
・WEB:おび弘 公式サイト

ライター 和田静香 1965年千葉県市川市生まれ、静岡県沼津市育ち。投稿から音楽雑誌「ミュージック・ライフ」のライターに、同じくラジオ番組への投稿から音楽評論家/作詞家の湯川れい子のアシスタントに。
業務のかたわらで音楽雑誌に執筆を始める。最近では音楽のみならず、エンタメ・ノンフィクションを数多く執筆。「わがままな病人vsつかえない医者」(文春文庫)、「プロ患者学入門」(扶桑社文庫)、「評伝・湯川れい子 音楽に恋をして♪」(朝日新聞出版)、「東京ロック・バー物語」(シンコー・ミュージック・1月29日発売)があり、2015年2月に「おでんの汁にウツを沈めて~44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー」(幻冬社文庫)が出る。
選挙に行こうと呼びかける「選挙ステッカー」発起人。

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