茨城県の笠間にある愛宕神社で開催される日本三大奇祭「悪態祭り」。
罵詈雑言が飛び交うなか、観衆は祠に収められたお供物を奪い合う、ガチンコで。
都会のぬるま湯ライフに鼻毛の先まで浸かった男35歳が、そのお供物争奪戦に挑む。
2014年12月21日の午後、茨城県の笠間にある愛宕神社はカオスと化していた。
普段は静けさに包まれている愛宕神社の「十三天狗祠(じゅうさんてんぐほこら)」の前で、ジャンパー姿の推定70歳オーバーのご老人、色付き眼鏡をかけたちょっとコワモテのおじさん、ジャージ上下のいたずら好きそうな子どもたち、オシャレなコートを着込んだ茶髪のお姉さん、威勢のよさそうな学生風など数十人が押し合い、圧し合い、入り乱れて朝の山手線状態になっている。
「早くしろバカヤロー!」
「遅いぞ、バカヤロー!」
「もたもたするんじゃねぇ、バカヤロー!」
祠の前までたどり着けなかった観衆のとめどない罵声が、ピリピリした雰囲気を煽る。
この時、僕は十三天狗祠を取り囲む群衆の最前列で、中腰で踏ん張っていた。背後から上着を引っ張られ、背中を押され、それをグイグイ尻で押し返す。まるで人気アイドルのコンサートの警備員のようだったけど、混乱の中で神聖な祠を死守していたわけでもない。
これから神主によって祠に供えられるお供物を奪い取るために、ポールポジションを守り続けていたのだ。
なぜお供物を? という疑問の答えは後々、明らかにしよう。あまりにもグイグイと上着を引っ張られるので、それどころじゃない。振り向いて「大人げないことはやめなさい!」と怒鳴りたい気持ちになる。一人じゃ寂しいという僕の極私的事情に同情して東京からわざわざ一緒にきてくれた女の子の友人Kちゃんを放ったらかし、群衆が押し寄せる前から祠の前に駆け付け、最前列をキープしてご満悦だったお前も十分に大人げないという意見は無視させて頂く。この場で「分別」とか「体裁」とかを気にしている“オトナ”がいたら、こう言ってやりたい。
「そんなんじゃつまんないだろ、バカヤロー!」
……勘違いしないで頂きたい。僕も観衆も口が悪いわけじゃないし、嫌な奴というわけでもない(多分)。むしろ、マジメと言えるかもしれない。なにせ、「悪態をついて穢れを落とす」というルールに愚直に従って、罵詈雑言を浴びせあっているのだ。
そう、この日、僕は愛宕神社で開催された「悪態祭り」に参加していた。日本三大奇祭と呼ばれるこの祭りでは、神主さんとかつて愛宕山に住んでいたと言い伝えのある13人の天狗の姿をした地元の有志のおじさま方が、愛宕山の麓から山頂にある愛宕神社までの約4キロ、途中にある16ヵ所の祠に供物を供えて歩く。その間、観衆が悪態をつくことで1年の罪や穢れが落ちるという。
なぜ神前で群衆が悪態をつきまくるという奇妙な祭りが始まったのだろうか?
愛宕神社の総代を務める三村正光さんによると、祭りの起源は江戸時代の中頃に笠間地域を収めた土浦藩の殿様の気遣いにあった。
「当時はきっと農民の生活が厳しい時代だったんでしょう。お殿様は、農民たちが不満を貯め込まないように、一年に一度、好きなだけ悪態をついてもいいという祭りを作り、ストレス発散させようとしたんです」
どうやら、穢れとか罪を落とすというのは後付けで、無礼講のような雰囲気だったようだ。なかなか素敵なアイデアを思いついた殿様は、ひとつのルールを定めた。
「どんな悪態ついてもOKだけど、『○○のバカヤロー!』とか名前を言っちゃダメ」
この話を聞いて、僕は思った。悪態には「悪」という字が入っている。負のパワーが強い行為だから、神様の前で個人の名前を含めて悪口を言ってしまうと、「呪い」と同じような状態に陥ってしまうのではないだろうか?
三村さんにそう聞くと、全然違った。
「いやいや、名前を言って悪態ついたらケンカになるでしょ」
ん? 思わず聞き返してしまったけど、ごもっともな意見である。公衆の面前で「川内イオのバカヤロー!」と言われたら、なんだとこの! となるのは道理。だから、誰に言っているかわからないようにするルールは大切なのだ。
悪態祭りには、神聖な存在である神主や天狗に向かって悪口を言ってはいけない、という決まりもある。だから、祭りが始まる前に神主さんは「神様に悪態をついてはいけませんよ」と説明するし、表向きは祭りの参加者同士で悪態をついているということになっているけど、実際のところ参加者は神主と天狗たちに好き勝手に罵詈雑言を浴びせていた。
「早く来いよ、バカヤロー!」
「待ちくたびれたぞ、バカヤロー!」
「足がフラフラじゃねぇか、バカヤロー!」
神事を行っているのに罵倒される神主さんと天狗たち。なんだか「うるせー! 来年はお前が天狗をやれ!」なんて言い返したくなりそうなものだけど、神主ご一行様は「無言の行」の最中だから終始沈黙だ。なぜ無言なんですか? と三村さんに聞いたらシンプルすぎる答えが返ってきた。
「神様は人間と話さないでしょ」
なるほど! それにしても地元の有志が務める天狗役には年配の方も多く、罵声を浴びながら急な階段を一生懸命登っている姿を傍から見ているといたたまれない気持ちになるが、本人たちは悪口を言われ慣れているのか、涼しい顔だ。もしかすると、心のうちでは「そんなんじゃ、罪も穢れも来年に持ち越しだぜ!」と呟いているのかもしれない。
それにしても、である。
普段、悪態をつきなれていない品行方正のシティボーイである僕は、最初、罪悪感と恥ずかしさから「バカヤロー!」と口に出すのが躊躇われた。しかし、参加者には悪態祭りに慣れている地元の方も多く、悪口も滑らかだ。
「寒いぞ、バカヤロー!」
「なんか腹へったぞ、バカヤロー!」
「小便したくなってきたバカヤロー!」
日々の不満ではなく、気候や身体の状態まで悪口にするあたり、ベテランの風情が漂う。僕も見習って試しに一言「バカヤロー!」と言ってみたら、なんというかこれがまたスカッとするんです。この「スカッ」が僕の穢れや罪を清めてくれるのだと思うと、驚くほどあっさりストッパーが外れた。
勢いというより調子に乗った僕は、ほとんどの参加者が語尾に「バカヤロー!」とつけているだけだったので、ライターとしてのクリエイティビティを見せつけようと「おたんこなす!」「へちゃむくれ!」「すっとこどっこい!」と無駄にバリエーションを豊かにしてみたんだけど、どこからか聞こえてきた参加者の叫びを聞いて、負けたと思った。
「このカメムシ野郎!」
参加者が思う存分に悪態をつき、それを聞いているのも楽しいのだけど、実は、悪態祭りが一番盛り上がるのは悪態をついている時ではない。祠に供えられたお供物を手に入れると1年間無病息災という言い伝えがあり、観衆はお供物を狙って殺到する。16ヵ所の祠で繰り広げられるこの争奪戦がハイライトだ。
あまりイメージがわかないと思うので、昔、テレビでよく放送されていたバーゲンセールの時のおばちゃんを想像してほしい。バーゲンが始まる前はニコニコしているけど、目は笑っていない。そしてバーゲンがスタートした瞬間、普段は目にしないような形相で髪を振り乱しながら商品を奪い合う。子どもが見たら「この人、お母さんじゃない!」とギャン泣き必死のバーゲン死闘と同レベルの争いが、お供物を巡って展開される。しかも、子どもからお年寄りまで全世代が参戦する。
三村さんに僕も取れますかね? と尋ねたら、ニヤリとしながらこう言われた。
「なにしろみんな本気だからね。簡単ではありません」
そこまでして奪い合うお供物、どれだけ豪華なものなのかと思うだろうけど、供物の内容は5円玉1枚、小さなお餅、焼き物のお皿、かいだれ(神事に用いる紙の幣、)、木板、これだけ。金銭に換算すると、恐らくほとんど価値のないものだと思われる。ご利益のあるお供物はプライスレスということだろう。
この争奪戦にも決まりがある。
「供物を取っていいのは神主が儀式を執り行ってから」
当たり前のルールに思えるけど、普段はつかない悪態をついて妙にテンションが上がっている群衆は、いきり立った馬のように抑えがきかないようだ。「誰もが供物を狙っているから、いくら待てと言っても聞かないですよね。お客さん同士でケンカになることもありますよ。人間は江戸時代から変わってませんから」と三村さんは苦笑する。
観客のフライングを抑えるために、天狗たちがいる。天狗は竹の棒を持っていて、祠のすぐ横に立ち、それぞれの竹の棒を交差させて即席のバリケードを築く。これで神主が儀式をしている間、観衆が手を伸ばしてもお供物には届かなくなるのだが、なかにはバリケードの隙間に手を突っ込んで供物を狙う人もいる。天狗はそういう不届き者を排除する。僕はちょうど不届き者(かなりのご老人!)と天狗がやり合っているところを目撃したんだけど、観衆に罵倒され続けた天狗の無言の反撃はなかなかのものだった。その攻防の最中、不届き者にはこんな罵声が浴びせられていた。
「供物を横取りしようとしてケガしたらもともこもないぞ、バカヤロー!」
的を得た一言に、観衆もドッと沸く。
ちなみに悪態祭りは戦前まで24時からのスタートで、罵声が飛び交う暗闇の中で供物を奪い合っていたそう。いかにもデンジャラスだが、実際、戦後の祭りが荒れに荒れて、祭り自体が中止になったほどだ。祭りが復活したのは20年前で、危険を避けるために昼間に開催されるようになった。昼間でこの騒然とした雰囲気だから、深夜開催がどんな状態だったのか、想像するだけでワクワ……、いやドキドキする。
僕は今回、どうせ参戦するなら本気で供物を狙おうと思っていた。阿波踊りには「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損損」という言葉があるけど、これはどの祭りにも共通している。供物を狙う阿呆になった方が、祭りの盛り上がりを体感できるはずだ。 ということで、僕は16ヵ所の祠のうちのひとつ、「十三天狗祠」でスタンバイした。ここを選んだのは、十三人の天狗が登場するこの祭りにふさわしい場所だと思ったからだ。
僕が祠に着いたとき、先にいたのは若い男性ひとりだけだったけど、神主ご一行様が近づいてくるにつれてライバルの数はどんどん膨れ上がり、最終的には数えきれないほどの人数になっていた。
ボディコンタクトが当たり前の激しいポジション争いをしている間に、厳めしい顔をした神主と十三人の天狗たちが姿を現した。竹の棒を持った天狗たちが群衆をかき分け、神主が通る道を作る。その時、目の前にいた若い男性がしゃがんだので、僕もしゃがむ。どうやらこの男性は素人ではないようだ。でも負けないぞ。目が合った瞬間、バチバチッと火花が散る。そうこうしている間に天狗の竹の棒でバリケードが築かれた。
ふと我に返った僕は、「仕事しなきゃ!」と思い出し、竹の棒の隙間にカメラを差し入れて、神主さんやお供物の写真を撮った。天狗に強制排除されるかと思ったけど、写真は大丈夫らしい。その間にも儀式は進み、いつだ? どのタイミングだ? と思っている間に、その場の空気がギュギュっと凝縮され、弾けた瞬間に奪い合いが始まった。正直、僕の目の前には誰もいないのだから取れるだろうと考えていたのだが、完全に安易でした。
始まった! と思った1秒後には、「おりゃっ!」「ぐわっ!」「ギャッ!」という言葉にならない叫びとともに目の前と背後から無数の手が伸びてきて、あっという間にお供物が! 僕も咄嗟に手を伸ばしたのだけど、文字通り空を掴んでしまった。しまった! ヤバい! ダサい俺! 自分への罵声が光速で巡る。
しかし! なんということでしょう。僕の手元にコロコロと転がってきたのです、お皿から落ちた小さなお餅が! ラッキーミー! 素早く餅を手にした僕は、ほかの人に奪い取られないように、あっという間に上着の左のポケットにしまい込んだ。間違いなく、モノをポケットに入れるスピードとしては人生最速だった。
混乱状態が続く祠の前からどうやって抜け出したのかまるで記憶にない。人混みを離れると、僕はひたすら握りしめていたポケットの中のお餅を取り出して眺めた。気づいたら、左手の薬指を誰かにがばっと引っかかれていて、けっこうな勢いで血が出ていてちょっと引いた。しかも、ジーンズの右ひざは土で汚れ、左の太ももにはなぜか誰かの甘酒がぶちまけられていた。どんだけ~! といういつかの流行語が脳裏をよぎる。
でも、気分は上々、いや最高だ。
三村さんには「簡単には取れません」と言われていたし、別の場所でお供物の奪取に成功した人が「今年やっと取れた!」と騒いでいたから、難易度は高いはず。
あまりの達成感ににやけていたら、次の祠で奪い合いが始まっていた。来年の無病息災が約束された者の余裕で、頑張れ、頑張れと他人事のように眺めていると、見覚えのあるオレンジ色のコートを着た女の子が地面にゴロンと転がっていた。
オーノー! マイフレンド!
今回、僕に付き合ってくれたKちゃんは、「なんか楽しそう」という緩やかなモチベーションでの参加だった。普段、誰かに罵声を浴びせている姿なんて想像もつかない落ち着いた雰囲気の女の子で、この日もオレンジ色のコート、スカートにブーツというかわいらしい服装だった。僕が目にしたのは、そのKちゃんがお供物の下に敷かれたワラを手にするも、子どもたち4人に強奪された瞬間だった。だ、だ、大丈夫? と声をかけると、大丈夫です! と爽やかな笑顔が返ってきたから一安心したけど、どちらかといえばピースフルなKちゃんをここまで燃え上がらせるこの祭り、ハンパねぇ!
僕やKちゃんが体験したようなドラマが16ヵ所の祠それぞれで繰り広げられた後、悪態祭りはフィナーレに向かった。お供物を取れなかった人に向けて、神主さんと天狗たちが神社の本殿から餅とお菓子をばらまく。もちろん、この最中も観衆は罵声全開だ。
40代と思しき女性3人が「天狗さん、お疲れ様でした~」と黄色い声で呼びかけると、それに気づいたひとりの天狗が頭をかいた。すかさず「天狗~、テレてんじゃねー、バカヤロー!」と突っ込まれる。周囲の人が笑う。気の利いたヤジをいう人がいて、それを楽しむというこの雰囲気が、罵声に溢れるこの祭りをほのぼのとさせているのだろう。
祭りの最後は「バカヤロー三唱」。神主、天狗、観衆の全員が声を揃える。
バカヤロー!
バカヤロー!
大バカヤロー!
これ、実際に口に出していってみると思いのほか一体感が生まれるから、おススメです。
僕とKちゃんが「想像以上だったね! 悪態祭り最高!」と興奮気味に愛宕山を下り始めると、背後から「今年は人が多かったわねぇ! あなたはどこから? 東京から来ている人もいるみたいよ」という弾んだ声が聞こえてきた。振り向いて「東京から来ました!」と反応すると、地元在住の女性が観光客の男性と話しているところだった。その女性、森谷みつ江さんと言葉を交わすと、あっという間に意気投合。僕らは愛宕山から最寄りの岩間駅まで1時間ほど歩くか、タクシーを呼ぶかしかなかったのだけど、森谷さんの「駅まで送っていこうか?」という優しい言葉に甘えて、車に乗せてもらうことに。
話を聞けば、運動を兼ねて自宅から愛宕神社までよく歩いているという森谷さんは悪態祭りの常連で、お供物の争奪戦を見るのが大好きとのこと。森谷さんは「何もないところだけど」と何度も言っていたけど、一年に一度でも、こんなに大人がオトナとしての仮面を脱ぎ捨てて楽しめる祭りが地元にあるのは正直羨ましい。
悪態祭りを考え付いて実現した土浦藩のお殿様、本当にグッジョブ。
あー、なんだか、今からすでに次回の悪態祭りが待ち遠しいぞ、バカヤロー!!!
ドラぷらの新コンテンツ「未知の細道」は、旅を愛するライター達がそれぞれ独自の観点から選んだ日本の魅力的なスポットを訪ね、見て、聞いて、体験する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、気になる祭に参加して、その様子をお伝えします。
未知なる道をおっかなびっくり突き進み、その先で覗き込んだ文化と土地と、その土地に住む人々の日常とは――。
(毎月2回、10日・20日頃更新予定)