未知の細道

23 Text & Photo by 石川直樹 第23回 2014.8.15 update.
演劇と曼荼羅の里 利賀村
富山県南砺市利賀村 過去の記事を読む
秘境ムスタンから、利賀へ。

ネパールに、かつて王国だったムスタンという地域がある。ヒマラヤ山脈の周辺には、ブータンをはじめ小さな王国がいくつかあり、ムスタンもその一つだった。2012年春にぼくはこの山深い土地を初めて訪ね、そこに暮らす人々に惚れ込んでしまった。道中は馬に乗って移動し、遺跡や建築物を通じて古いチベット仏教文化に出会えるばかりでなく、人々の心の内に根付いたチベットの精神性というものをあちこちで垣間見ることができる。日本人としてはじめてチベットに潜入した僧侶、河口慧海もムスタンに長く滞在していた。

そのムスタンから帰国後の夏、富山県の利賀村で毎年夏に開催されている「演劇人コンクール」に審査員として招待された。およそ一週間のあいだに8つ程度の演劇を観て、鑑賞後は演出家や俳優や他の審査員の方々と演劇について話すという毎日を過ごすことになった。今年で三回目の審査となり、このコンクールのたびに、シェイクスピアやベケットやチェーホフ、三島由紀夫や別役実や三好十郎など、いくつもの戯曲を読みこみ、演劇という芸術のもつ面白さに改めて開眼した次第である。

演劇をきっかけに、3年続けて利賀村に通った結果、山奥に忽然と姿を現すこの村自体の面白さの虜にもなりつつある。利賀村は偶然にもムスタンのトゥクチェ村と姉妹村になっており、トゥクチェ村の僧侶がこの地にやってきて、巨大なマンダラを描いて残していった。ムスタンから帰国直後の利賀村訪問で、偶然にもムスタンとの繋がりを発見し、その数奇な出会いに何か運命的なものを感じずにはいられなかった。

マンダラが展示されているのは「瞑想の郷」という施設で、日本にいながら、ムスタンの空気を吸うことができる希有な場所になっている。静寂に包まれた過疎の村で、チベット本国やムスタンでも見られないような立派な金剛界曼荼羅や胎蔵界曼荼羅に出会えることの驚きは小さくなかった。しかも、お客さんが大挙して来るような施設ではないので、毎回訪れているがいつも貸し切り状態である。展示には丁寧な解説文も付されていて、少しでもチベットやヒマラヤ地域に興味をもつ者にとっては、必ずや刺激的な体験をもたらしてくれるだろう。

演劇の里。

演劇と瞑想の郷によって、ぼくはすっかり利賀村のファンになってしまった。そして2014年夏、ぼくはまた利賀村へ向かい、夏の2週間を山中で過ごすことになった。利賀村は富山県南砺市の村だが、岐阜県との県境に近く、人口は500人ほどである。限界集落と言ってもいいのだろうか、過疎化の進む小さな村で、自分自身、ここに来るまでは利賀村の読み方さえ知らなかった。(恥ずかしながら最初は「りが」と読んでおり、「とが」だと気付いたのはこの村に着いてからである・・・)。

富山空港から車で一時間、小松空港からは車で二時間ほどの距離にある。富山からも金沢からも、最後は細い山道を行くことになり、少々怖い思いをする。蛇行したうねうね道がひたすら続いて、雪深い冬には陸の孤島となるのも容易に想像できる。現在建設中の橋が完成すれば少しはアクセスがよくなるだろうが、それによって村の経済が激変する、というものでは決してない。

利賀村へ向かって車を走らせると街から徐々に風景が変わっていくのを実感する。人家が少なくなってくると、やがて谷の斜面に作られた道路に入って、山しか見えなくなる。そのときの異世界感といおうか、山に入り込んでいく感覚が、ぼくは好きだ。

利賀村の近くには五箇山や白川郷といった合掌造りで有名な観光地がある。この利賀村にも合掌造りの建築物がいくつか残されていて、集落の一部に伝統的な建築を生かす形で6つの劇場が作られ、利賀芸術公園として整備されている。毎年、世界中から本当にたくさんの演劇人がやってくるのは、こうした立派な 劇場と、劇場を作る牽引力となった世界的演出家の鈴木忠志さんの存在が大きい。

若手向けの演劇人コンクールに続いて、8月末には鈴木忠志さん率いるSCOTの 公演が開催される。ぼくは毎年観に行っていて、今夏も観劇する予定だ。鈴木さんは、1960年代から寺山修司や唐十郎らとともに、新しい演劇の旗手としてとして革新的な作品を次々と上演し続けてきた演劇界の巨人である。その鈴木さんが利賀村に本拠地を移してから早40年が経とうとしている。

毎年、行われる数々の舞台では、野外劇場での度肝を抜くような演出を目の当たりにできるし、体育館を改装した上品かつ広々とした空間で質の高い作品を毎夜楽しむことができる。こんな贅沢な時間は決して都会では味わえない。しかも、観劇料は「ご随意に」となっていて、お金がどうしてもない若者など は、その気持ちだけで観覧することもできる。利賀村自体、なかなか行きにくい場所だが、SCOTの舞台は掛け値なしに人生に おいて一度は見ておいたほうがいい。いや、一度ならず何度も繰り返し見るべき 数少ない舞台作品であると言い切ることができる。ここ数年、ぼくの夏は、利賀村の演劇人コンクールにはじまって、利賀村のSCOTで締めくくられる。利賀村の空気を吸わなければ、日本の夏を感じられない。そんな大切な場所になっている。

五箇山と白川郷。

演劇と曼荼羅は、利賀村を訪れる上でのキーワードだが、その他にも見所はたくさんある。それが世界遺産にもなっている白川郷・五箇山の合掌造り集落である。どちらも庄川の流域にあり、五箇山は中流域、白川郷は上流域に位置している。

旧平村、上平村、利賀村の3村にまたがる五箇山には、「相倉合掌造り集落」と「菅沼合掌造り集落」があり、いずれも世界遺産に指定されている。いわずもがなの豪雪地帯だが、これは日本国内ばかりでなく、世界と比べても類を見ない積雪量だという。すなわち、合掌造りと呼ばれるあの独特の形は、こうした場所で例えアクセスが遮断されても自らの力を頼りに生き抜くために生まれた洗練された知恵なのだ。

こうした家々が広く世界に知られるきっかけとなったのは、1935年にこの地を訪ねたドイツの建築家、ブルーノ・タウトによる評の力も大きい。彼は言う。「これらの家屋は、その構造が合理的であり論理的であるという点においては、日本全国を通じてまったく独特の存在である」と。

五箇山と少々離れたところにある白川郷の合掌造りが有名になったのも、タウトが自著である『日本の美の再発見』で言及したことがきっかけだった。ぼくが初めて白川郷を訪ねたのは2007年の真冬で、そのときも激しく雪が降り積もっていたのに関わらず、多くの観光客を見かけた。五箇山よりも白川郷のほうが訪問客が多いのは、単純に名古屋などの都市部から距離的に少しだけ近いというのが理由だろう。ぼく自身、当時は利賀村や五箇山のことは知らなかったが、白川郷のことをテレビや雑誌などで見聞きして、知っていた。

角度が急な茅葺き屋根の合掌造りの民家は、積雪が非常に多く、さらにその雪質が重いというこのあたりの自然条件に適した構造になっていて、屋根裏の大きな空間は昭和初期まで蚕の飼育場となっていた。南北に面した建物は風向きを考慮して、風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏は涼しく、冬はしっかりと保温される仕組みになっている。

五箇山や白川郷の周辺からは多くの縄文遺跡が見つかっており、先史時代から人々が生活の場としてきたことをうかがわせる。世界でも有数の豪雪地帯であっても、洗練された住居と受け継がれる知恵によって、昔から人々は自然とうまく折り合いをつけて生きてきたのだ。

ムスタンの山村を彷彿させる、このあたりの山深い村にぼくは強く惹かれる。バスで金沢や富山から訪れる観光客は、ピンポイントで合掌造りの集落を見ただけで帰ってしまうのだが、それだけではもったいないと思うのだ。そうした家屋への理解を深めるためにも、ぜひ周辺を散策してほしい。

庄川温泉で休む。

五箇山や白川郷の暮らしを知る上でも、利賀村の風土を身近に感じる上でも重要なのが庄川である。利賀村を富山方面に少し下ると小牧ダムに沿って庄川温泉峡があり、民宿が点在している。

庄川の源流は岐阜県の山間部で、そこから富山県へと注いでいる。この庄川と並行して走るのが、国道156号線である。利賀村へ向かう際も重要な道路になっている。前述したように谷の斜面を削ってできた道路なので蛇行を繰り返し、道幅が狭く大変危険なため、「156(イチコロ)線」などという不本意なニックネームを付けられたこともあるくらいだ。

いつもは利賀芸術公園の近くや五箇山のあたりに宿をとるのだが、今年は少し下って庄川温泉峡の民宿に泊まった。民宿はダム湖の畔にあり、遊覧船観光で有名とはいえ、五箇山あたりに比べるとだいぶ静かだ。マニアックな観光地と言ってもいい。

小牧ダムを船で渡ったところに大牧温泉があり、この宿だけは陸からアクセスできない。船で渡るしかない秘境の温泉宿である。ここにはいつか泊まってみたいと思うのだが、まだその夢は果たされていない。日本全国、山奥の村には平家の落ち武者伝説が残されているが、このあたりも例に漏れずそうした伝説には事欠かない。

ぼくも遊覧船に乗って、小牧ダムから山の眺めを楽しんだ。ダムの近辺にはかつて温泉宿以外の集落もあったが、ダムの底に沈んでしまい、民宿や旅館のみが移設されたという。建設までの道のりも険しく、木材運搬で生計を立てていた庄川流域の木材業者の反発も大きかった。そうした歴史について考えながら、鬱蒼と茂る森を見る。日本全国どこも同じだが、美しいだけの風景なんてない。そこには、人々の歴史がうずたかく堆積しているのである。

演劇とムスタンをきっかけに開かれた利賀村への扉をぼくは大切にしたいと思っている。合掌造りの家屋に作られた舞台で質の高い演劇を見て、世界でも有数の曼荼羅と向き合い、ひなびた温泉に入る。のどかな夏旅もいいが、ハードな体験をしたければ吹きすさぶ雪のなか、利賀村を旅してみるのもいい。合掌造りがいかにしてできたのか、そのことを肌で感じることができるだろう。

日本列島、なかでも本州の最もいいところと最も厳しいところが凝縮された場所が利賀村だとぼくは思っている。いつか訪ねてみてほしいのだ。この山深い小さな村には、いくつもの驚きと発見が待っている。 

未知の細道とは

ドラぷらの新コンテンツ「未知の細道」は、旅を愛するライター達がそれぞれ独自の観点から選んだ日本の魅力的なスポットを訪ね、見て、聞いて、体験する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、気になる祭に参加して、その様子をお伝えします。
未知なる道をおっかなびっくり突き進み、その先で覗き込んだ文化と土地と、その土地に住む人々の日常とは――。

(毎月2回、10日・20日頃更新予定)

ライター 石川直樹
石川直樹 1977年東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。2000年に北極から南極まで人力で踏破するPole to Poleプロジェクトに参加。翌2001年には、七大陸最高峰登頂に成功。その後も世界を絶えず歩き続けながら作品を発表している。その関心の対象は、人類学、民俗学など、幅広い領域に及ぶ。2011年、『CORONA』(青土社)にて第30回土門拳賞を受賞。写真集『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)、『ARCHIPELAGO』(集英 社)ほか多数。ヒマラヤシリーズとして写真集 『Qomolangma』、『Lhotse』、『Manaslu』、『Makalu』(SLANT)を4冊連続刊行。最新刊に『国東半島』、『髪』(青土社) がある。2014年8月20日~10月5日まで東京・六本木のIMA CONCEPT STORE にて写真展『Makalu』を開催。
写真展『Makalu』
今回の旅のスポット紹介 update | 2014.8.15
演劇と曼荼羅の里 利賀村
鈴木忠志さんが率いるSCOT
利賀村に本拠地を構える世界的な演出家の鈴木忠志さん
利賀事務所
〒939-2513 富山県南砺市利賀村上百瀬70-2
TEL:0763-68-2356
FAX:0763-68-2912
Web:鈴木忠志・SCOT 
庄川峡 一日まるごとぶらり旅|砺波市観光サイト「砺波旅」
小牧ダム付近の観光案内サイト
web:庄川峡 一日まるごとぶらり旅|砺波市観光サイト「砺波旅」
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