新潟県十日町市
2000年の夏、初めて開催された「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に家族旅行で出かけた。当時16歳。暑い暑いと文句も言いながら、それでも心に残るアートとの出会いに感銘を受けた。それから20年、全国各地で開催されるようになった芸術祭へ足を運び続けている。共に行くメンバーもいろいろ、最近はもっぱら子連れ。もはや私の夏の行事に組み込まれている、芸術祭への旅を振り返る。
最寄りのICから【E17】関越自動車道「塩沢石打IC」を下車
最寄りのICから【E17】関越自動車道「塩沢石打IC」を下車
16歳の頃の気持ちはあまり思い出せないし、思い出したくない。第二志望で受かった高校を数日で「辞める」と泣き叫んで母を困らすくらいには、こじらせていた。まぁ、女子中高生の心の中は、振り返ってみればなんでもかんでももどかしくて、苦しくて、うまく答えも出せなくて、36歳の私から見たら、「よく頑張ってるよ」と頭を撫でてあげたい。きっと、多くの16歳はそんな感じだと思う。
学校がそんなに好きじゃなかった一方で、家族旅行は好きだった。家族旅行の最中に、クラスメイトたちが大型バスで応援に行った甲子園での高校野球の試合結果を、ラジオで聞いていた記憶がかすかに残っている。
さてそんな難しい年頃の高一の夏に、日本で初めて大規模な野外芸術祭が開催され、そこに出かけた。新潟県の十日町市、津南町全域に点在する作品を、車で巡る。32の国から148名のアーティストが153点の作品を展示。東京23区より大きな地域に点在している作品を全部回ろうとしたら1週間はかかると言われたが、たしか2泊の滞在だった。
直に触れられる、乗れる、体験する作品に一度にたくさん出会ったのはこれが初めてだったし、この芸術祭から体験型アートフェスティバルが盛り上がってきたように思う。いろいろな作品を見た中で、とても心に残ったものがふたつ。北山善夫さんの「死者へ、生者へ」と磯辺行久さんの「川はどこへいった」だ。
この作品は以下のように説明されている。
廃校になった旧中里村立清津峡小学校土倉分校を使用した、竹と紙でできたオブジェによるインスタレーション。体育館の天井からは、羽根をつけた小さな椅子が無数に下がる。校舎全体には作者によるドローイング、死をテーマにした新聞の切抜きやメモ、在校生の写真、絵、送辞・答辞などが掲示され、過去の記憶に満ちている。外壁からは一対の翼が伸びている。
(大地の芸術祭HPより引用)
私自身が通った木造校舎の小学校が取り壊されていたこともあって、印象に残っている。郷愁と、かつては賑やかだった場所を満たす寂しいだけではないエネルギーに圧倒された。心と体が持っていかれる感覚に、アートってすごいなと感じた原点かもしれない。
「川はどこへいった」は、かつての信濃川の流れを3.5キロに渡って、黄色い旗付きのポールを立ててなぞった作品。人間が効率よく川の流れを変えて田んぼの区画を整備する前の川の流れは、うねうね緩やかに蛇行していて美しい。
過去にあった情景をアートという枠で提示すること、丹念な研究やリサーチの末に課題を浮かび上がらせる手法に、「こんなアートもあるのか!」と目から鱗がぼろっと落ちた。田んぼの中にはためく鮮やかな黄色い旗というシンプルでいて美しい情景も心に残ったし、磯辺行久さんの他の作品を見てみたい、と強く思った。そんな風に「好きなアーティスト」ができたのは初めての経験だった。